損得に揺れない身の堅さはすがすがしい。戦国の昔、合戦で大手柄をたてて徳川家の最年少の部将になった成瀬正成(まさなり)に、豊臣秀吉が目をつけた。けた違いの俸禄を示して、「あの若武者をくれ」と家康に迫ったそうだ
▼やむなく家康が承知をすると、正成は大泣きした。「どうしても秀吉の家臣になれというなら切腹する」。それを聞いた秀吉は「家康殿は良い家来を持たれておる。目をかけて使われよ」と言って諦めた――磯田道史(みちふみ)さんの『歴史の愉(たの)しみ方』(中公新書)から拝借した
▼无可奈何之余,家康应承下来,正成却泣不成声。“若硬要我成为秀吉的家臣,我宁愿切腹”。秀吉闻此说:“家康大人有个忠诚的家臣,善待他吧。”只得作罢。这是从矶田道史的《历史的愉快面》摘录下来的故事。
▼平成の日本も戦国なみ、まれに見る多党乱立のうちに総選挙が迫る。それだけ「脱出ボート」が多いわけで、すでに幾人もが、主に民主党から乗り移った。理を感じる離党もあるが、損か得か、保身丸見えの遁走(とんそう)も目立って情けない
▼平成的日本也与战国相差无几,在少见的多党林立的情况下,大选越来越近。基于此“离经叛道者”不乏其人,已经有多人,大部分是脱离了民主党另谋去处。
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