▼小1だった中沢さんは爆心に近い校門前で炸裂(さくれつ)に遭った。「小さき骨」にならずにすんだのは奇跡でしかない。だが父、姉、弟を亡くし、妹も栄養失調で失った。自伝を描くのに絞った勇気と涙は、いかほどだったかと思う。
当时还是小学一年级的中泽先生在离原子弹爆炸中心很近的校门前受到了波及。没变成“一堆小尸骨”只能说是奇迹。然而他却失去了父亲、姐姐和弟弟,最后妹妹也因为营养失调而离开了他。为了写下这一段自传,他需要多大的勇气,又流了多少眼泪啊。
▼「ゲン」は絵本も含めて1千万部を超え、18カ国語に翻訳された。生前最後の本になった『はだしのゲン わたしの遺書』(朝日学生新聞社)でささやかな喜びを述べている。国内の図書館で、表紙が手垢(てあか)でぼろぼろになってベニヤ板で留めてある「ゲン」を見たそうだ。
包括连环画在内,“阿源”这部作品一共发行了超过1千万册,并被翻译成了18国语言。中泽先生生前的最后一部作品《赤脚阿源 我的遗书》(朝日学生新闻社出版)中讲述了小小的喜悦。据说在国内的图书馆,还可以看到封面满是手印儿十分破旧的保留在胶合板上的《阿源》。
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