きのうに続いて柳田国男の話になるが、著作を読んでいて次の一節に立ち止まり、傍線を引いた。「歴史にもやはり烏賊(いか)のなま干(び)、又(また)は鰹(かつお)のなまり節のような階段が有るように感じられた」(「雪国の春」)
▼つまりスルメや鰹節のように乾ききっていない。歳月は経たけれど、まだはっきりと過去のものではない――そうした意味だが、先ごろの国際面の記事にこのくだりが重なり合った。中国で、日本の旧満蒙開拓団員の慰霊碑が、建立からわずか10日余りで撤去されたという
也就是说乌贼干和鲣鱼干都没有彻底的风干。尽管岁月流逝,但是过去的东西还是没有成为过去的东西,——就是这个意思,最近国际新闻报道与之互相重合。在中国,日本的旧满蒙开拓团员的慰灵碑,刚刚建立10天就被拆除。
▼碑は黒竜江省方正県政府が、日中友好のために建てた。中国外務省の承認も得ていたが、「なぜ侵略者の慰霊碑を建てるのか」と、ネットなどで批判が起きた。親日的な土地柄の方正県は、きびしい批判に萎縮気味だという
▼日本軍が中国東北部へ侵攻した満州事変から今年で80年、終戦からは66年がたつ。しかし歴史は、鰹節にもなまり節にもならず、切れば血が出る姿で今も横たわる。「過激な反日」で片づけるわけにもいかない実情の一面だろう
▼柳田の一節は、明治の三陸大津波から20余年後に現地を訪ねた感慨だった。「一人々々の不幸を度外に置けば、疵(きず)は既に全く癒えて居る」とも述べている。表向きの復興を一皮むけば個々の涙が流れている。それは天災も戦災も変わるまい
柳田著作中有一段是明治三陆大海啸过后20年故地重访的感慨。“如果每一个人都把自己的不幸置之度外的话,那么伤害就可以被完全治愈。”如果只是把复兴作成表面的一张皮的话,那么每个人的眼泪还是会止不住流淌。这一点不管是天灾还是战争之灾都无法改变。