いまの時代なら誰にたとえられるか、斎藤緑雨(りょくう)は明治時代に毒舌の評論で鳴らした。簡潔な警句の数々は切れ味抜群、〈涙ばかり貴(とうと)きは無しとかや。されど欠(あく)びしたる時にも出(い)づるものなり〉というのもあってニヤリとさせられる。
明治时期斋藤绿雨因其犀利的评论而名声赫赫,当今时代又有谁能与他相提并论呢?简洁的几个警句就非同凡响,也有像“并非只有泪水珍贵,哈欠连连时也会流泪”这样的话,让人忍俊不禁。
▼鳩山由紀夫元首相が引退するとの報道に、緑雨の警句の一つが胸に浮かんだ。〈無邪気は愛すべく、無責任は憎むべし。されども無邪気は、無責任の一種なり〉。1世紀も前の言葉だが、鳩山さんのこのかたの言動を突くような冴(さ)えがある。
对于日本原首相鸠山由纪夫隐退的报道,突然想起绿雨的一句警句。“爱其天真,恨其不负责,然而天真也是一种不负责。”尽管这是一个世纪以前的话,但却能准确地抨击鸠山任职以来的言行。
▼不信を決定づけた普天間問題の独り相撲も、「よかれと思って」やった結果だった。首相を辞めたときは引退を表明したのに撤回した。あれやこれや、どこか宇宙人的な「無邪気」が抜けきらずに、政治をかき回すことが目立っていた。
他在普天间问题上不守承诺从而失去民意支持也是因他的“意气用事”所致。他在辞去首相一职时,虽然提出了要隐退,但最后却收回了这样的想法。这一桩桩一件件,都让人们清楚地看到他难脱外星人般的天真,在政治上任意妄为。
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