▼それから61年、「主権回復の日」の式典なるものを政府が初めて行うそうだ。沖縄から反発の声が上がったのは当然だろう。復帰後も基地は集中し、治外法権的な地位協定は残る。今なお「占領よ、さようなら」と言えずにいる人は少なくあるまい。
此后又过了61年,据说政府要首次举行“主权恢复日”的纪念仪式。当然,这一举动引发了冲绳的不满。回归之后,这里依然集中着军事基地,仍保有治外法权地位协定。至今或许还有许多人无法高喊“永别了,占领!”。
▼「日本には長い占領期間があったことも知らない人が増えている」と安倍首相は言う。その通りだろうが、4·28は沖縄などを「質草(しちぐさ)」にしての主権回復だった。沖縄では日の丸も自由に掲げられなかった。
安倍首相表示:“越来越多的人不知道日本曾有很长一段时期被占领。”事实正是如此,4·28只不过是一个以冲绳为“抵押”的主权恢复日。在冲绳连太阳旗都无法自由升起。
▼安倍さんの祖父の岸信介氏らは条約発効に伴って公職追放が解かれている。それはともかく、沖縄への想像力を持たずしてこの日は語れない。万歳三唱で終わるなら、やる意味もない。
随着和平条约的生效,安倍的外祖父岸信介等人就恢复了公职。这些暂且不论,如果不为冲绳有所设想的话,这一天称不上是纪念日。若是三呼万岁就行了的话,那么这样的纪念没有任何意义。
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