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〈教育とは、学校で習ったすべてを忘れたあとに残るものをいう〉。アインシュタインの言葉だ。学校教育の「頼りがい」は常に問われてきた。教師は不本意だろうが、答えの一つが教育産業の隆盛である▼
阿尔伯特·爱因斯坦曾定义“如果你忘记了在学校学的一切,那么所剩下的便是教育”。学校教育的“依赖性”是经常被提出的。虽然这并不是教师的本意,但回答之中有一个是因为教育行业的兴盛。
東京都杉並区の区立中学校が、大手進学塾の講師を招いた夜間授業を計画した。夜の教室を使い、正規料金の半額ほどで塾の指導を受けられる工夫だ。民間出身の校長の発案で、2年生19人が受講を希望していた▼
在东京都杉并区的区立中学计划招聘许多升学学校的老师进行晚间授课。因为是晚上使用教室,只要花费大概普通费用的一半学费就可以接受私塾的指导。在民间出身的校长提出办法后,2年级有19名学生希望可以来上课。
ところが、きょう予定されていた初の授業は、東京都教育委員会の指導で先延ばしされる。生徒全員が出られない/特定業者に教室を供する/教材づくりに教員がかかわる――の3点に疑義があるという▼
但是,预定在今天进行的初次授课在东京都教育委员会的指导下被推迟了。对如下3点提出了怀疑:不是全体学生都参加、向特定业者提供教室、关于编写教材的教师。
授業の理解を助けるための補習は別にあり、夜間塾は「できる子を伸ばす」試みといえる。週3日で1万8000円の月謝を出せない家もあろう。一方、少子化に悩む塾にはそれなりの商魂があるはずで、教室で営業されるという心配も分かる▼
晚间补习班除了为帮助理解上课的内容,还可以说是“拓展有能力孩子”的尝试。也有拿不出一周上3天课学费1万8000日元的家庭。一方面,因为少子化而苦恼的私塾应该有那样的商业气魄,另一方面也就能明白在教室被用来营业时出现的这样的担心。
だが教師の過労が言われる中、公教育の建前を並べるだけでは、学力をめぐる保護者の焦りは消えない。お金のかかる私立校や塾が現にあるのだから、ここは塾に行けない子への福音と考えたい。先人の言葉を続ければ〈まずはやってみなはれ〉(西堀栄三郎)だ▼
但是被说起教师的过劳问题时,仅仅罗列了公立教育的方针中,围绕学习能力的保护着的焦虑并没有消失。因为实际上有花钱的私立学校和私塾,想考虑这个能不能给没有去的孩子带来福音。如果继续前人的话“首先是要有尝试”(西堀荣三郎)。
因为实际有有关钱的私立校和私塾,想这里考虑对对私塾不能行的孩子的福音。
杉並区教委と学校側は「疑義を晴らして始めたい」としている。国の将来がかかる人づくりで、公と私をことさら分断しても無益だ。官民の知恵を合わせ、教育現場にようやく顔を出した試行錯誤の芽である。どう伸びるか、全国が見ている。
杉并区教委和学校方面“开始想消除疑义”。对于培养将来建设国家的人,与公家截然划分开来毫无意义。将政府与民众的智慧融合起来,是教育行业总算露面的试行错误的萌芽。如何拓展,全国都可以看到。