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英文科を出た石井桃子さんは菊池寛の紹介で、犬養毅首相邸に司書として通い始める。犬養が五・一五事件で落命する少し前だ。事件翌年のクリスマス、首相の孫らにせがまれ、ツリーの下にあった英書を即興の和訳で聞かせた。101歳で亡くなった児童文学者と「クマのプーさん」の出会いである
英语专业毕业的石井桃子经菊池寛介紹开始到犬養毅首相府上当图书管理。时为五・一五事件犬養身亡前夕。该事件(发生后)的第二年圣诞,在首相孙辈们的央求下,石井用即兴的英译日为他们朗读了放在圣诞树下的英文书。那就是这位享年101岁的児童文学家与《小熊维尼》的初次相遇。
読み進むうち、不満げな子をよそに黙読になった。26歳に起きた「ふしぎなこと」を後にこう記す。「体温とおなじか、それよりちょっとあたたかいもやをかきわけるような、やわらかいとばりをおしひらくような気もちであった」(『石井桃子集7』岩波書店)
接着往下读之后,她便径自默读起来,全然不顾孩子们的不满。对发生于26岁时的这一“怪事”,后来她这样写道:“那感觉犹如拨开和体温相同或比体温略为温暖的雾霭一样,又仿佛推开柔软的帷幔一般” (《石井桃子集7》岩波書店)
出会いから7年、石井さんが訳した「プーさん」が岩波から出た。以来、子どもの本ひと筋。翻訳や創作は200点を超す。日本の児童文学の至宝だった
“初次相遇”7年后,岩波书店出版了石井翻译的日译本《小熊维尼》。自那以来,她潜心研究儿童读本,译作和创作逾200件,为日本児童文学的瑰宝。
75年前のイブ、石井さんの即興に笑い転げた12歳は、評論家の犬養道子さんだ。石井さんのお陰で、戦後は日本中の子が同じ喜びを味わえるようになった。数え切れない童心が「あたたかいもや」をくぐり、不思議の世界にしばし遊んだ
75年前的平安夜,为石井的即兴翻译笑得前翻后仰的12岁孩子就是(现在的)評論家犬養道子。多亏石井,战后全日本的孩子得以感受到(与道子)同样的欢乐,无数童心穿过“温暖的雾霭”,在奇境里做短暂的遨游。
お見かけしたのは1月、朝日賞の贈呈式だ。体調に配慮し、あいさつなしの段取りだったが、車いすの石井さんはマイクをとった。静まる会場に「やはりこれは、私の声と名前で」と、短い謝辞が続いた
我看见石井是在1月份、朝日奖的颁奖仪式上。出于健康考虑,大会没有安排她发言,但是,坐在轮椅上的石井却拿起麦克风,对寂静的会场致以简短的谢辞:“果然,这是我的声音和名字……”。
児童書の研究にも足跡を残した石井さんだが、「プー」だけはあえて分析を控えた。「魔法は魔法でとっておきたいから」。最後の章まで現役、残り一行まで「子どもの喜び」にこだわり、ノンちゃんが待つ雲に乗った。
石井在儿童读本研究方面也留下业绩,但唯独对《小熊维尼》不做剖析。“因为魔术要用魔术来收藏”。她恪尽职守,以“孩子的欢乐”为信条,直至最后一章、最后一行。(如今,)她已经坐在阿信恭候的云彩上了。