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2008年05月01日「天声人语」中日对照

作者:无盐  来源:贯通论坛   更新:2008-7-14 16:50:22  点击:  切换到繁體中文

 

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幼いころから病弱だったゆえでもあろう。亡くなった随筆家の岡部伊都子さんが紡ぐ言葉には、「生かされている」という思いが息づいていた。感謝と表裏をなすように、弱いもの、時代に合わぬものへの、温かいまなざしがあった

也许是自幼体弱多病的原因吧,已过世的随笔作家冈部伊都子编织的话语中,有着[生命被延长着]的思绪。像感谢和贯通表里一样,对弱小的、与时代不符之物,有着温和的目光。

大阪の商家に生まれた。2歳で右耳の聴力を失う。女学校は結核で退学した。世を嫌って、「なんで私なんか産んだ」と母親を責めた。母親はそんな娘に、「あ、また死にたい顔したはりまんな」とおどけてみせたそうだ。岡部さんは笑って、泣いた

生于大阪的商人之家,2岁右耳失聪;上女子学校时因结核病而退学。讨厌这个世界、责备母亲“为何要生我?”母亲对这样的女儿做鬼脸:“啊,你的表情还不想死呢”。冈部笑了出来、而后又哭了。

長じると、婚約者を激戦の沖縄で亡くした。その人は、出征の寄せ書きに「勝つもまた悲し」と書くような青年だった。「この戦争は間違っている。天皇陛下のために死ぬのはいやだ」と言い残すのを、「私なら喜んで死ぬ」と突き放すように見送った

成年之后,未婚夫在冲绳的激战中阵亡。正是这个年轻人,在出征寄语中写上“即使胜利也是悲哀”。“这场战争是错误的。讨厌为了天皇陛下而去死。”对着这样的遗言,淡淡到说“如果是我,将很高兴去死”。

非戦の理想と言葉は、軍国乙女の理解を超えていた。激しく悔やんだのは、戦争が終わってからだ。自らに「加害の女」の烙印(らくいん)を押す。疼(うず)きとともに深めた思索を、130冊もの著書に刻んできた

非战的理想和言语,超出了军国少女的理解范围。深刻地后悔、从战争结束之后开始。给自己烙上了[加害之女]的烙印。心痛的感觉、深度的思索,都融于130册的著作之中。

京都のお宅を昔、真夏に訪ねたことがある。「夏やせに寒細(かんぼそ)り」の人生だと笑う腕は、きゃしゃだった。「でも弱いから、折れないのよ」。弱さをしなやかさに変えたのは、芯の強さだろう

曾经拜访过她在京都的住宅,斯人矍瘦,笑谈这是[暑夏清瘦、寒冬细弱]的人生。[但是由于柔弱,所以不会折断]。将软弱变为有韧性的柔弱,正是由于[]的坚强吧。

昨夏刊行の『清(ちゅ)らに生きる』(藤原書店)に、婚約者への感謝がある。「(残してくれた)だいじなな言葉がなかったら、わたしの生きてる意味はあらしません」。85歳で去った岡部さんの胸に灯(とも)りながら、婚約者の思いもまた、戦後を照らし続けた。

去年夏天发行的《轻松生存》(藤原书店)中,表达着对未婚夫的感谢。“如果他没有留下那么重要的话语,则我也没有生存下去的意思”。85岁时与世长辞的冈部心中,这些词句以及对未婚夫的思念,照亮着战后的人生。


 

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