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「くつ塚慰霊碑」と呼ばれる碑が名古屋市にある。1959(昭和34)年の伊勢湾台風で亡くなった人を悼んでいる。遺品となった靴の山から、名がついた。一人息子を失った父親の詩が建立のきっかけになったそうだ
“鞋冢慰灵碑”位于名古屋市。是为了悼念1959(昭和34)年于伊势湾台风中丧生的人们而建。起名为“鞋冢慰灵碑”是因为遗物中堆积如山的鞋子而得名。据说建立这座碑的契机是因一个丧子父亲的一首诗。
▼〈ここは冷たい海でした/胸までつかる水の中/……嵐の中に手をとって/頑張りつづけたところです〉。父は子の腕をきつく握りしめていた。だが何度目かの大波で、すーっと離れていったという。あの台風で落命した人は5千を超えた
“这里曾是冰冷的海水/在深至胸部的水中/在暴风中牵起手/坚持不懈地努力中”,虽然父亲用力的抓住儿子的手腕。可是巨浪不断的袭来,不小心一下松了手。那场台风中超过五千人丧生。
▼伊勢湾台風に似て、ミャンマー(ビルマ)を襲ったサイクロンも、高潮の被害が大きい。死者、行方不明者は数万といい、膨らみ続けている。まるごと消えた集落もあるようだ
和伊势湾台风一样,袭击缅甸的萨伊库洛所带来的灾害也是巨大的。死者,失踪者人数上万并且不断在膨胀。据说还有直接消失的村落。
▼さかまく水の中、多くの手が、愛する命をつなぎとめようとしたことだろう。力尽き、沈んでいった人々を思えば胸が痛む。助かった者にも自責と断腸の念が残る。自然の容赦のなさである
翻涌的水中,不知有多少双手想要救助自己所爱的生命。一想到那些用尽气力后沉入水中的人们就觉得心痛。救助的人们也一定充满了自责与悔恨吧。这就是自然的无情处。
▼だが、「人災」の要素も強いようだ。気象情報は不十分だったと聞く。被災後も軍事政権は、人的支援の受け入れに腰が重い。自由や人権が縮んだ国である。外国人が入れば国情が表立つ。断りたいのが本音、とも漏れ伝わる
但是,人事方面的责任也很大。听说气象预报很不及时,受灾后,军事政权的灾后救助也不是很到位,是一个不够自由和人权的国家。外国人一介入国情就会被公开,也委婉的传出本意是要拒绝的声音。
▼かの地では今頃からが雨期。「王宮の太鼓が鳴り、真っ黒の顔も泣き出し……隠れていた人も出てきた」と、この時期を言うそうだ(『季節の366日話題事典』)。太鼓は雷、黒いのは雨雲、出てきたのは土中の小動物だという。慈雨が万物を潤す季節に、大きな災いに見舞われた。悲嘆をこえ、一日も早い立ち直りを祈る。
那个地方现在正值雨季。“王宫中的太鼓敲响了,黑色的脸也开始哭泣……躲藏起来的人们也露出了身影”好像就是在说这个时期。太鼓是指雷,黑色的脸是指雨云,露出身影的是指地上的小动物们。本应是好雨滋润万物的时节,却遭受如此大的灾害。悲叹以外还期望能尽早好转。