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20年目に入った平成の世は、19年前のきょう始まった。あの日曜をたどりながら、東京都立川市の昭和記念公園を訪れた。落葉樹のケヤキやコブシはすっかり裸である▼
进入第二十个年头的平成时代,是从19年前的今天开始的。在追寻那个星期日留下的痕迹的同时,来到了位于东京都利川市的昭和纪念公园。光叶榉树和辛夷的叶子已经全部掉光了。
地元の画家、群馬直美さんの「葉っぱの詩(うた)」展が園内で開かれていた。原寸大に描いた木の葉の細密画は、朱や黄が差した色合い、枯れっぷり、髪ほどの葉脈、虫食いの小穴まで引き写す。写真を超えた生々しさである▼
本地的画家群马直美先生在园内举办了名为“叶的诗歌展”的画展。根据实际大小描绘的树叶的工笔画,巧妙地使用了红色与黄色的搭配,细致地描绘了枯萎的样子、如发丝般的叶脉以及被虫咬过的小洞。是超过了照片般的栩栩如生。
自称「葉(よう)画家」の群馬さん、葉へのこだわりは学生時代から四半世紀になる。どの一枚にも濃密な物語があるという。道端の落ち葉は大声で「親」の名を叫ぶそうだ。周りを見回し、空を見上げると、兄弟たちがヒラヒラ手を振っている。作品集『木の葉の美術館』(世界文化社)の一節だ▼
自称是“叶画家”的群马先生,从学生时代迷恋叶子开始已经过了1/4个世纪。任何一片叶子中都有内容丰富的故事。道路两边的落叶好像在大声叫着“爸爸妈妈”。环视周围,抬头仰望天空时看到兄弟们纷纷招手呼唤。这是作品集《树叶的美术馆》(世界文化社)中的一节。
一本の木でも、葉の表情はすべて異なる。群馬さんは、この〈みんな違う、みんな主役〉の状況に感嘆する。「私たちも一枚の木の葉。ありのままの自分で輝きだしたら、地球は今よりずっと幸せそうな一本の木になるに違いありません」▼
即使是在一棵树上的所有叶子,它们的表情也都不一样。群马先生那句“全都不一样,全都是主角”就是对这种情况的感叹。“我们大家也都是一片片的树叶,如果每个人都能真正地释放出自己的光芒,地球这棵树一定要比现在看起来更幸福。”
新緑の頃の差異は小さいが、虫に食われ、鳥につつかれ、雨風に打たれて、木の葉は個性を蓄える。散る時も別、そのあとも、土に還(かえ)る者、たき火で天に昇る者と「十枚十色」。一枚ずつ名前をつけてやりたくもなる▼
虽然在初长成时候的差异是很小的,但是经过虫食鸟啄风吹雨打,树叶也会积蓄自己的个性。飘落的时候也不一样,在那之后回归土地的也好、因篝火升天的也好,可谓是“各叶均不同”。想给每一片叶子都起个名字。
昭和、平成。黙して時代を越えてきた樹木の営みに、切れ目なき命の流れを思う。冬の一日、葉を落とした木々と小さな「葉画」に囲まれていると、生死の境が一瞬ぼやけた。生を終えても続きがあるような、ほっとする感覚だった。
看着默默跨越了昭和、平成年代的树木,感受到无尽的生命之流。冬季的一日被落下了叶子的树木和小小的“叶画”围住的话,生死之别立即在一瞬模糊了。是即使结束了也象有延续一样的安心的感觉。