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沖縄本島の南端で、荒崎海岸は崖(がけ)となって海に落ち込む。沖縄戦の末期、その磯に追いつめられた4人の女生徒が、泣きながら唱歌「故郷(ふるさと)」を歌った。つらい体験を、ひめゆり学徒隊で生き残った宮城喜久子さんに聞いたことがある。
荒崎海岸在冲绳本岛的南端变成断崖絶壁,沉入海底。冲绳战役末期,被追至此处海岸的4名女学生,流着泪唱了《故乡》之歌。关于当时的痛苦经历,我曾从幸存的姬百合学生队员宫城喜久子那里听说过。
砲撃のやんだ夜。宮城さんら4人は歌いながら、櫛(くし)や家族の写真が入ったかばんを海に投げた。死を覚悟したときに文部省唱歌が口からもれたのは、沖縄の歌を一つも知らなかったからだという。
那是炮战停止的夜晚。宫城她们4人唱着歌,把装着梳子和亲人照片的提包扔进了大海。据说,之所以在决心一死之际口中唱出了文部省指定歌曲,那是因为对冲绳的歌曲一无所知。
日本政府は、明治の初めに琉球を併合した。以来、「辺境の民」を「一人前の日本人」にするための皇民化政策が進められる。沖縄の方言や歌はきびしく禁じられた。学校のオルガンで弾こうものなら、教師が飛んできて怒鳴りつけた。
日本政府在明治初期合并琉球。之后,推行了以变“边疆居民”为“合格日本人”为目的的“皇民化政策”。冲绳的方言和歌曲遭到严禁。如果学生要用学校的风琴弹奏(冲绳歌曲),就会有教师冲过来大声训斥。
沖縄戦での集団死(自決)も、そうした歴史のひとつの悲劇だ。大江健三郎さんの『沖縄ノート』の記述をめぐる訴訟で、裁判所はきのう、「集団自決には旧日本軍が深くかかわった」と認定した。大江さん側の勝訴である。
冲绳战役中(发生)的集体自杀,也是这种历史之下的悲剧之一。关于大江健三郎《冲绳笔记》记述的诉讼案,法院昨天认定“旧日本军与集体自杀密不可分”。大江方胜诉。
軍と住民の「タテの構造」における死の強制、と大江さんは言う。その構造は、皇民化政策でならされた島にやすやすと根を張った。そして「軍民の共生共死」を押しつけられた地上戦で、おびただしい住民の血が流れた。それが沖縄戦である。
大江说,(集体自杀是)军队和居民的“纵向结构”之中的死亡强制。这种结构关系,轻而易举就在被皇民化政策驯服的冲绳岛扎根了。然后,在这场强迫“军民生死与共”的陆地战役中,众多居民流血牺牲了。这就是冲绳之战。
米国の著名な歴史家アーサー・シュレジンジャー氏から、「歴史は国家の応援団ではない」と聞かされたのを思い出す。かく言う氏も、盟友ケネディ元大統領の失政には甘かったようだ。教訓としつつ、歴史を見る目を養いたい。
想起美国著名的历史学家阿瑟·施莱辛格说过:“历史不是国家的啦啦队”。他虽然如是主张,却似乎也对盟友肯尼迪原总统的失政很宽容。希望以史为鉴之同时,要培养观察历史的眼力。