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『荒城の月』の詩人、土井晩翠が生まれた仙台市は毎年、東北を中心に小学生の詩を募る。「晩翠わかば賞」である。昨秋の第48回で佳作となった作品に「おかあさん」がある▼
每年在『荒城の月』的作者,诗人土井晩翠的诞生地仙台,都会从东北地区为主的小学生中募集诗。称之为「晩翠绿叶奖」。在去年秋天第48界上有一部名为「母亲」的优秀作品。
〈おかあさんは/どこでもふわふわ/ほっぺはぷにょぷにょ/ふくらはぎはぽよぽよ/ふとももはぼよん/うではもちもち/おなかは小人さんが/トランポリンをしたら/とおくへとんでいくくらい/はずんでいる/おかあさんは/とってもやわらかい/ぼくがさわったら/あたたかい気もちいい/ベッドになってくれる〉▼
(诗歌不翻了)
きっとふくよかであろう、優しい母の笑顔が浮かんでくる。作者の西山拓海(たく・み)君はおととい、青森県八戸市の家で9年の生を閉じた。電気コードで首を絞めたと認めた母親(30)が逮捕された▼
一定是位福相的母亲,慈祥的笑容浮现了出来。这首诗的作者西山拓海,于去年在青森県八戸市的家中结束了年仅9岁的生命。母亲(30)承认了用电线勒死孩子,已经被逮捕。
何度も抱きしめてくれた「もちもちのうで」が、この朝は凶器だった。パジャマ姿で息絶えた子に、「おかあさん、なぜ?」と問う間はあるまい。詩にあふれる濃密なスキンシップとの落差に、言葉を失う▼
无数次拥抱自己的「酥软手臂」,今晨变成了凶器。穿着睡衣气绝了的儿子,在也没有机会去问「妈妈,为什么?」。对于诗中流露出的肌肤之亲有如此大的落差,让人无言以对。
先月の修了式の日、楽しく語らい下校する親子の姿があったという。母は何を思い、わが子を手にかけたのか。最後の最後に、幼い言葉が刻む「肌の記憶」を呼び戻せなかったものか。あれこれ考えてはみても、胸が詰まるばかりだ▼
上个月的毕业典礼,看到欢声笑语领孩子放学回家的情景。那位母亲到底是怎么想的,要对自己的孩子下狠手。最后的关头,孩子幼小的言语中记录下的「母子亲情」还是无法唤醒母亲吗?考虑再三,还是无法找到答案。
ふわふわの感触とは相いれぬ、むごい現実にさらされる子は拓海君だけではない。早すぎる旅立ちに携える残像が、最愛の人の恐ろしい形相では悲しすぎる。おかあさん、おとうさん、ころさないで。そう念じて、いま一度、ひらがなの連なりをたどる。
和温柔的感觉相抵触,生活在残酷现实中的并非拓海一人。早早地就走上了一个人的道路(不归之路),而留下最后的景象却是最爱亲人的凶相,这实在是太悲惨了。母亲,父亲,请不要杀我。这样的怨念,现在只能再一次,苦苦找寻化成诗的道路。