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「泥と炎」と形容された戦火の果てに、インドシナ3国の首都が相次いで陥落(かんらく)したのは1975年のことだ。4月にカンボジアと南ベトナム、8月にはラオス。命の保証もない現地に日本のフリー写真家も身を挺(てい)し、生々しいフィルムを世界に発信した。
1975年爆发的所谓“泥巴与火焰”之战,最后导致印度支那三国的首都相继沦陷。4月是柬埔寨和南越南,8月是老挝。日本的自由摄影师们不顾性命之忧毅然奔赴毫无生命保障的战地现场,把真实的战地照片传送至全世界。
「誰も行かないところへは、誰かが行かなければならない」。武力弾圧(ぶりょくだんあつ)下のミャンマー(ビルマ)で落命(らくめい)したカメラマン、長井健司さんの口癖(くちぐせ)だったという。戦争や紛争を伝えるジャーナリストに脈々と受け継がれてきた情熱であり、使命感だろう。
“谁也不愿去的地方,更需要有人前往”。据说这是不幸丧命于武力镇压下的缅甸的摄影师—长井健司先生的口头禅。支撑他的正是报道战争和纷争的新闻工作者们脉脉相承而来的热情以及强烈的责任感吧。
4年前、戦争不可避(ふかひ)のイラクから、日本の大手新聞、テレビは撤退(てったい)した。入れ替わるようにフリーの写真家らが現地を目指した。「攻撃される側」から報道するためだ。茶の間に届いた映像や写真の多くは、その情熱がもぎとった(捥ぎ取る)真実だった。戦火の下に、長井さんもいた。
4年前,日本的各大报社和电视台纷纷从难逃战争厄运的伊拉克撤离。 宛如填补撤退造成的空白一般,自由摄影师们置个人生死于度外毅然深入危地。那是为了从“被攻击一方”的视角来报道。数不清的鲜活的战争影像和照片传送到了千家万户的家中,无声的验证了他们作为一名新闻工作者的热情。长井先生也曾身在战火的硝烟中。
物静かな人だったという。先天性の障害に苦しむイラクの少年に、紙おむつを届ける優しさもあった。功名心(こうみょうしん)ばかり先走る(さきばしる)者もいる業界(ぎょうかい)である。そこにあって、紛争解決のために何ができるか、をいつも考えていた。
据说(长井先生)性情谦和,也很体贴。曾给受饱先天残疾所苦的伊拉克少年送去纸尿裤。在有人只为贪图功名而抢着出风头的摄影行业,他却经常会设身处地的考虑,为解决纷争能够做些什么。
戦場(せんじょう)カメラマンの武器は「笑顔」だけだと聞いたことがある。憎めない笑顔を持つか否かが、生死を分ける局面もあるらしい。今回はしかし、背後からの問答無用(もんどうむよう)の射殺(しゃさつ)だった。こんな蛮行(ばんこう)には、やわらかな武器は使いようもない。
曾经听说过,战地摄影记者的武器只是“笑容”。显然有时侯是否拥有足够融化对方的笑容就可以决定一个人的生死。然而这一次(长井先生所遭到的),却是来自背后的滥杀无辜。对于这般野蛮行径,无论多么温和的笑容, 也没有了用武之地。
遺体は、右手がビデオカメラを握る形に硬直(こうちょく)しているそうだ。非業(ひごう)の死と、命と引き換えの最後の映像が、ミャンマー民 主 化の力になることを願う。
听说长井的遗体呈右手紧攥摄像机形状僵硬着。希望(长井先生)的无辜之死和拿生命换来的最后的影像,能够成为推动缅甸迈向民 主 化的一股力量。