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2007年08月29日の「天声人語」

作者:无盐  来源:贯通论坛   更新:2007-10-11 19:46:13  点击:  切换到繁體中文

 

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凜烈(りんれつ)な作風で知られた小説家立原正秋が、筆名について書いていた。ほとんどの郵便はペンネームで来るが、まれに本名で届くものがある。本名をしげしげと眺め、「これは一体誰なのか」と妙な気分になる。そんな内容だったと記憶する。
凛烈而闻名的家立原正秋,曾写过有关笔名的文章:收到的信件大部分都写笔名,偶尔收到写本名的;久久凝视自己的本名,会很奇怪地想『这人到底是谁?』。记得有这样的内容。


 似た気分を、モンゴル人のドルゴルスレンダグワドルジも味わっているのかもしれない。「朝青龍」なるしこ名を眺め、「これは一体誰なのか」と。謹慎の様子はうかがい知れない。だが日を重ねるほど、彼の心の中で、本名の嵩(かさ)が増しているように思われる。
 类似的心情,蒙古人高尔斯仁·达格瓦道尔吉说不定也有体会。「朝青这个别号,问『到底是谁?』慎的样子不可窥知,但看来,本名在他的心中的地位与日俱增。


 きびしい状況への配慮だろう。日本相撲協会は横綱の帰国を認めた。早ければ今日にも発(た)つ。帰ったきり、二度と「朝青龍」には戻らない可能性も、なくはないらしい。ここまでこじれた責任の一端は、丁寧な意思疎通を欠いた師匠と協会にもあろう。
 也许是对严峻情况的担心日本相扑同意了朝青龙的回国。早的话也许今天就会出发。一旦回国(回蒙古),再做为『朝青』回来的可能也不是没有。形势恶化到如今的地步,责任的另一方面,也在于师父和协会之间缺乏慎重周到的沟通吧。


 この世界で師匠といえば、実の親も同然と聞く。横綱審議会委員だった作家の舟橋聖一が、双葉山父子を回想している。双葉山は幼い時、友達の吹き矢が当たって右の目を失明した。父親は、だれが矢を吹いたのか知っていながら、死ぬまで口を閉ざし続けたという。
个世界说到师父,听来就和亲生父母一样曾经是横纲审议会委的作家舟圣一回想双叶山父子。双叶山年幼,朋友吹出的击中右眼导致失明。据说他亲知道箭是谁的,却到死都守口如瓶。


 恨まれる者より、恨む本人にとってどれだけマイナスになるか。分別を踏まえた深い愛情のゆえだった、と作家は書いている(『片目の横綱双葉山』)。
 比起被憎恨的人,对怀恨在心的人而言,会有多么不利?做到这一点,正是由于深厚感情中包容了差异--作者如是写道(独眼双叶山』)


 この父親にして、品高き名力士ありだろう。双葉山も隻眼のハンディを秘したまま、無敵の相撲を取り続けた。鑑(かがみ)もあれば不出来な親子もあるとは知りつつ、騒動の口直しに紹介してみたくなった。

 个父是德高望重的名力士。双叶山独眼的不利条件秘而不宣继续的相扑之路虽然知道既有可作榜样之人,也有不象样的父子,但在这风潮的变幻之际,我也忍不住想说上几句。

 


 

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