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作家の吉川英治は若い頃、雉(き)子郎(じろう)と号して川柳を詠んだ。家は貧しく、工場へ通う途中に焼き芋を買い、半分を朝飯に、半分を昼飯にした。そのころの一句、〈貧しさもあまりの果(はて)は笑ひ合い〉。
作家吉川英治年轻时,曾以雉子郎为笔名咏过川柳。其家境贫寒,去工场途中买一个烤红薯,一半作早餐,一半作午餐。那时有一句:“穷极若无聊、唯以笑依托”。
暑さも、あまりの果ては笑い合うしかないのか。埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で、国内の最高気温となる40.9度を記録した。テレビに映る市民には苦笑いが目立った。お天道様には勝てない。あきらめ半分の苦笑だったかもしれない。
难道酷暑只能相视一笑吗。在崎玉县熊谷市和岐阜县多治见市,记录已达国内最高气温40.9度。电视上市民的苦笑颇为抢眼。人难胜天,或许苦笑中掺有一半灰心绝望吧。
冷房という「逃げ場」のある現代人の、ゆとりの表情でもあろう。これまでの記録40.8度は、74年前に山形市で観測された。むろん冷房などない。地元紙は、「太陽がもう一尺でも地球に近づくなら生きとし生ける北半球の動物が焼死してしまう」と書いた。気息奄々(きそくえんえん)、酷暑への恐怖さえ伝わってくる。
也有拥有空调这一“避难所”的某些现代人悠闲的表情吧。迄今的记录40.8度是74年前在山形市观测到的。不用说那时没有空调。当地报纸曾描述道:“倘若太阳再靠近地球一尺,万物生生不息的北半球的动物将会被烤死”。传达了奄奄一息,对酷暑的恐怖感。
当節は、暑さを逆手に取っての「街おこし」らしい。熊谷はもともと暑さで名高い。猛暑を「無形文化財」に見立て、イベントなどに取り組んできた。そして、めでたく日本一に。反対に、王座陥落の山形からは「悔しい」の声が届く。
当下、似乎将炎热反手利用于“振兴城市”。熊谷市素以炎热而闻名。曾将酷暑视为“非物质文化财产”,组织了一系列活动。而今又可喜可贺地位居日本第一。相反,从失去宝座的山形市传来“遗憾”声。
とはいえ、多くの命が熱中症に奪われている。暑気あたりを総称して「霍乱(かくらん)」という。鬼でも霍乱を病むのだから、お年寄りや子どもは注意が要る。暑さで売る熊谷あたり、霍乱予防の先進地も目指してはいかがだろう。
虽说如此、中暑剥夺了众多的生命。将暑气症状统称为“霍乱”。因为鬼也会得霍乱,故而老年人和小孩必须注意。以炎热叫卖的熊谷市地区,也来争作预防霍乱的先进城市,如何?
なお真夏日の続くなか、雉子郎の句をもうひとつ。〈ざんざ雨河岸に涼しい灯が一つ〉。冷房頼みで乗り切る夏ではあるが、気持ちで「涼」を感じるゆとりも、失わずにいたい。
炎炎夏日还在继续,想起雉子郎的另一句:“霰雨蒙蒙河岸边,清凉灯一盏”。虽可以依赖空调度过夏天,但也希望不要失去用心感受“凉”的那份闲情逸致。