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2007年08月10日の「天声人語」

作者:未来215  来源:贯通论坛   更新:2007-10-11 19:33:09  点击:  切换到繁體中文

 

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 平和祈念像の青い筋肉の上を雲がゆっくり流れる。あの日と同じ南の風だ。正林克記(まさばやし・かつき)さん(68)は62年前、その風の中でセミ捕りをしていて、白い光と爆風を浴びた。「お父さん助けて」。腹に竹が突き刺さり、思わず戦死した父を呼んだ。背中の妹は「お母さん」と小さく震えた。

在青铜色的祈祷和平的雕像上空,飘荡着朵朵白云。和那天一样,吹着和煦的南风。现年68岁的正林克记先生,62年前正在那和煦的南风中捉着知了,突然间一下子就淹没在一片白光和爆炸的气浪之中。【 爸爸,救救我】 被竹子穿透腹部的小正林,不由自主地呼唤起了已经战死的父亲。背上的妹妹一边呼唤着 【妈妈】一边吓的不停地在颤抖。

 きのうの長崎原爆忌で、正林さんは「平和への誓い」を読み上げた。「立場や都合で原爆投下を正当化してはならない」。クマゼミの合唱を超える声だった。

在昨天的长崎原子弹爆炸纪念日上,正林先生宣读了 『迈向和平的誓言』。『绝对不能把因为处于某种立场和情况而投掷下原子弹的论点合法化』。正林先生以响彻云霄般的声音高声宣读着。

 正林さんたちの夏を引き裂いたB29のスウィーニー機長は、直後の9月、長崎に入り、廃虚の爆心地から青空を見上げる。この時の心境を回想録で「後悔も罪悪感もなかった」と記した。罪悪感を抱くべきは日本の指導者たちだと。

撕裂了正林先生们的那个夏天的B29的スウイーニー机长,在其后的九月份,来到了长崎,站在一片废墟的轰炸中心仰望着碧蓝的天空。他在以后的回忆录中记录下了那时的心情,他说:“没有感觉到后悔和罪恶感”,抱有罪恶感的应该是日本的当局者们。
 

機長はカトリック信者だった。日本有数の信者の街、浦上を全滅させたと知る由もない。二つの原爆が戦争を終わらせたという「落とした側の論理」を貫き、04年、84歳で逝った。

机长是位天主教教徒,现在已经无从获悉在日本屈指可数的天主教信徒之街,浦上街的被全毁之谜了。始终坚持认为是两颗原子弹让战争得以提前结束,这一『投掷方的逻辑』的机长,于2004年不幸去世,享年84岁。

 彼らの第1目標だった小倉は、近くの空襲の残煙で目視がきかなかった。投下に3回挑んで燃料を費やし、第2目標の長崎に賭けることになった。曇天だったが、その時だけ一瞬、雲が切れたという。

原本作为他们的第一攻击目标的小仓,因为淹没在附近的空袭所残留的余烟中无法确认方位而免遭劫难。在以小仓为目标尝试着投掷了三次都未成功的他们,也因为飞机过度消耗燃料,而决定改投在原为第二目标的长崎。虽然是阴天,但在投掷炸弹的那一瞬间,云层却忽然裂开了。

ヒロシマから74時間47分。いくつもの必然と偶然が産み落とした二つ目は、機長に勲章を、真下の7万4000人には死をもたらした。幾多の残酷な出会いを「しょうがない」の言葉でくくった防衛相は去り、与党は民意の報いを受けた。被爆者の悲願、核廃絶への道は険しい。「目を覚ませ」と南風に言わせ、また夏がゆく。

离广岛被炸仅仅相隔了74小时零47分钟。经由几个偶然和必然而扔下去的第二颗原子弹,在机长被授予勋章的那一刻,却夺走了蓝天下七万四千条鲜活的生命。把许多残酷的局面总结为一句“是没有办法的事情”的国防部长下台了,执政党遭到了民意的报应。被炸者们的悲观,失望,迈向废弃核武器之路的重重艰险。习习南风似乎在告诉人们“早点清醒过来吧”,又一个夏天远去了。

 


 

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