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毎年8月になると、大阪から1冊の本を送っていただく。庶民の戦争体験を集めたもので、『孫たちへの証言』と題がついている。この夏で区切りの20集目を数える。刷り上がったばかりの本が、今年も届いた。
每年一到8月,总会收到从大阪寄来的1本书,书名《给儿孙的证言》,里面收集了老百姓们对战争的体验。今年夏天刚好出到第20集。今年我又收到了刚印刷好的书。
手にとって項を繰る。玉砕の島サイパンから奇跡的に生きて帰った女性。学友の無残な遺体を防空壕(ごう)から運び出した男性。子ども6人を連れて厳寒の朝鮮から逃れた母親……。74編が収録されている。とつとつと飾らない文が、それゆえに、戦争の罪深さを訴えかける。
拿在手上翻阅。从塞班岛奇迹生还的女子。将学友惨不忍睹的遗体搬出防空洞的男子。带着6个孩子从寒冷的朝鲜逃脱的母亲……。共收录了74篇。文字是不连贯的,未经修饰的,然而惟其如此,对罪恶战争的控诉显得更强烈。
出版社を営む福山琢磨さん(73)が編集してきた。原稿は毎年募集する。収録候補を選び、電話や手紙で筆者に問い合わせて、手を入れていく。手間のかかる作業だが、損得抜きで、名もなき人々の苦難にこだわってきた。
这本书是经营出版社的福山琢磨(73)编辑的,每年都征稿。选稿、打电话或者写信联系作者、改稿。费时费力,不计得失,只为了那些无名小卒经历的苦难。
大所高所からの歴史だけでは「戦争」は見えない。だが小さな物語を丹念に集めていけば、やがてはモザイク画のように実相が浮かぶ。そんな信念に支えられた。20年間の応募は1万3000を超え、収録は1599編にのぼる。「庶民の戦争史」と呼んで恥じない数だろう。
在宏观的历史中,看不见具体的战争。然而,若用心去收集一些故事,那么战争实相就会像马赛克画一样一点一点变得清晰起来。正是这种信念支撑着福山先生。20年来,他征得稿件1万3千多篇,收录达1599篇。从数量上来,将它称作“百姓的战争史”一点不为过吧。
今年は100歳の人の原稿が初めて載った。震えがちな肉筆とともに、介護ヘルパーの聞き書きが同封されていた。「伝えたい」という執念を、福山さんは感じた。
今年首次收录了一个百岁老人的稿件。有颤抖着亲笔写的部分,也有护工根据口述整理的部分。“我要告诉后人”,福山先生强烈地感受到了老人的执著。
体験者の高齢化は進み、4人に3人を戦後生まれが占める時代である。戦争をめぐる日本人の記憶の泉から、わずかに残る水をくみ上げて、「記録」にとどめる。涸(か)れる前に一滴でも多くをと、応募のある限り刊行を続けるそうだ。
战争受害者一天天老去。现在这个时代,4人中有3人出生于战后。若把日本人对战争的记忆比作一泓泉,那么现在做的是将所剩无几的水汲取,保留到“纪录”中。福山先生说,只要还有人写,就会一直发行下去,希望在泉水干涸之前多保留住一点,哪怕只是多一滴。