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2007年06月30日の「天声人語」

作者:adam2118  来源:贯通论坛   更新:2007-8-27 16:08:02  点击:  切换到繁體中文

 

论坛讨论地址:

http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=127657&page=2

この文章を書いた人は、現在の世情を考え、元首相の「冷静な合理主義」や岡井隆の歌が思い浮かんでいるのです。読む人がそれぞれに自分自身で性格に意味を捉えようとする努力がないと作者の本当の意図を理解することはできないという風に考えております。
さて、本日の検討に入りましょう!

    亡くなった宮沢喜一さんが、日米学生会議の一員として初めて渡米したのは昭和14年だった。日中戦争のさなか、日米の空気は険悪の一途である。往路の船中、日本の立場を弁護しようと、仲間と盛んに意思統一をはかった。

    昭和14年,已故的宮沢喜一先生作为日美学生会议的一员,第一次奔赴美国。当时正值中日战争最为激烈,也是日美关系急剧恶化的非常时期。在赴美的船上,为了使大家共同为日本辩护,宮沢喜一先生与朋友一起统一了大家的思想。

    会議に臨むと、向こうの学生は思い思いに意見を述べた。日本を悪く言う者もいるが、自国を批判する者も随分いる。「言論の自由というのはこれか」。知米派で聞こえた元首相の、原風景になった。

    在会议上,对方学生各抒己见,有人攻击日本,也有相当一部分人批判本国政府。“这就是言论自由吧”这就是被认为是亲美派的前首相当时所见到的情景。

    そうした体験をへて身についた「冷静な合理主義」が、政治家としての持ち味になり、弱みにもなる。期待株と目されながら、初入閣から首相就任までに29年かかった。田中角栄氏ら親分肌のボスに疎まれたためである。「泥田をはいずり回れない」といった陰口もついてまわった。

    如此经历之后,奉行“冷静的理性主义”成为了其作为政治家所具有的独特风格,某种程度上也成为了其软肋。尽管一直被看好,由于被当时的田中角荣等政治首领疏远,从入内阁到出任首相,整整花费了29年时间。甚至被人攻击为“在泥田中匍匐前进,不会转弯”。

    首相時代、指導力に疑問符がついたこともある。だがハト派の象徴としての存在感は、最後まで揺るがなかった。自衛隊のイラク派遣に反対し、憲法9条の改正には慎重であり続けた。

    即使出任首相后,其领导能力也曾被质疑过。但是,从反对向伊拉克派遣自卫队到慎重对待修改宪法第九条,其“鸽派”形象,自始至终都没有丝毫动摇过。

    〈どの論理も〈戦後〉を生きて肉厚き故しずかなる党をあなどる 岡井隆〉。ふと胸をよぎるのは、この歌だ。宮沢さんのような「しずかなる****主義者」をあなどる、粗っぽい空気が、いまの政界を覆ってはいないだろうか。

    (任何规律都已表明,战后随着私欲膨胀,对原本稳健的政党已经表现出了不屑一顾 冈井隆),听到这首歌,我思绪万千。轻视宫沢先生那样“稳健的****主义者”这股风气,是否已经覆盖了现在的政界了呢。

    「総理大臣が刀を抜いて、『進め、進め!』なんていうのは戦国ドラマの見過ぎ」と、宮沢さんは言っていた。****主義は、ときに遅々としてじれったいものだ。初入閣から1年で首相の座に就いた現職には、その辺の理解がないのかもしれない。

    “总理大臣拔出大刀,大呼‘前进、前进’,这简直是战国时代的动画片看多了”,宫沢先生这样说道。****主义,有时候总会姗姗来迟,让人等待。入阁1年便就任首相宝座的现任总理大臣,似乎还没有理解其中的道理。


 

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