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「私はやはり石原を作家にしておきたかったのである……しかし彼はやはり『肉体』で勝負することに賭けた」。石原慎太郎氏が参議院議員になった68年、旧制湘南中学からの盟友、文芸評論家の江藤淳氏は月刊誌に書いた。
“我仍然想像石原是名作家……可他还是赌上‘肉体’决以胜负”。在石原慎太郎氏当选参议院议员的1968年,他旧制湘南中学的盟友、文艺评论家江藤淳氏在月刊杂志上如是写道。
同時期の対談で石原氏は江藤氏に語る。「おれが政治という方法を通じて欲しているものと、非常に多くの大衆が欲しているものとは幸せなことに重なり得るんだ」。東京都知事に3選され、大衆を相手にした石原氏の「肉体勝負」は続くことになった。
同时期的对话中,石原对江藤氏谈道。“幸运的是我能通过政治这一手段,将我想要的和非常多的民众想要的结合到一起”。于是他三选东京都知事,以大众为对象继续坚持着“肉体胜负”。
20年近く前、運輸大臣と担当記者の縁で東京・田園調布の石原邸を何度か訪れた。酒屋の御用聞きは銘柄ワインの入荷を知らせに来た。迎えの車には朝食をのせたお盆が積み込まれた。夫人は控えめでも、家に漂う空気は確かな上流だった。
大约20年前,曾因运输大臣及其担当记者的关系几次探访位于东京·田园调布的石原大宅。巧遇酒店的探班来知会上等好酒的到货,来接人的小车里堆满了供品盒子。夫人虽然保守,但室内还是充斥贵族气息。
74歳の成功者に、いまさら庶民感覚を求めるのは難しいかもしれないが、東京は日本の格差社会の縮図だ。小さな声をすくい上げる努力は、首都の首長の責務である。
让74岁的成功人士现在才去找寻平民的感觉,似乎不太容易。东京即是日本整个落差社会的缩影。极力听取平民们的心声,这也是国都首长的责任和义务。
身内を重用するような慢心は、慎太郎ファンをも失望させたろう。だが当選が決まると、強気一本の石原節が早くも全開となった。いま「非常に多くの大衆」が欲しているのは、頼れるが謙虚な「新太郎」ではないか。批判に耳を傾け、地味で面倒な問題にもぶつかっていく姿勢だ。
重用亲信的傲慢之举,也另慎太郎的追随者们感到失望吧。但一获知当选,石原氏还是迫不及待地将他的强硬一览无余展露出来。难到如今“非常多的民众”想要的不是可信、谦虚、能听取批评,脚踏实地攻克难题的“新太郎”(与“慎太郎”同音)吗?
「自信作にかぎって、ろくなものがない」。石原氏の小説をそう評したのも江藤氏である。この見立ては、自信なさそうなときはたいてい傑作、と続く。石原さん、3期目は「自信なげ」にいきませんか。
“充满自信的,反倒没有好作品”。这样评价石原所作小说也是江藤氏。这种看法后续为:没有自信时大都会有杰作。石原先生,第3期是否该尝试下“没有自信”的态度呢?
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