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2007年04月05日の「天声人語」

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こんなニュースを読むと、生命を「いのち」と平仮名で書いてみたくなる。体重わずか265グラムで生まれた女の赤ちゃんが、無事に育って東京の慶応大病院を退院した。日本ではこれまでで最も小さく、世界でも2番目という。

  看到这样的新闻,不禁产生用平假名书写“生命”的想法。出生时体重仅265克的女婴,平安从东京庆大附属医院出院了。据说她是日本有史以来最轻、也是全世界第2轻的婴儿。


 予定より15週早く生まれた。体の機能が未熟だったため人工呼吸器をつけ、へその緒の血管から栄養の点滴を受けた。いまは自分でミルクを飲めるようになり、体重も3000グラムに増えた。

 
  出生比预产期提前了15周。因体内机能尚未发育完全,所以要安装人工呼吸器、从脐带血管输入必要的营养液。而今,她已经能够自己喝牛奶,体重也增加到3000克。


 生まれたとき、どれほど小さかったのか。試しに手元のバナナをはかりに載せると、ほぼ同じ260グラムである。たったこれだけの重さに人間の生命が宿り、消えることなく育っていった。小さな「いのち」のたくましさに、粛然となる。

 
  出生时到底有多轻呢?试着将手头的香蕉放到计重器上,结果也将近260克。而生命就是降临到了如此轻佻瘦小的载体,通过养护,成长。弱小“生命”的顽强另人肃然起静。


 赤ちゃんには不思議な力があるらしい。作家の大庭みな子さんは育児体験をもとに、「放っておけば死んでしまうはかなさと哀れさで、親の中から信じられない力を引き出す」と随筆に書いた。わけても265グラムのはかなさは、医師や看護師から、並ならぬ力を引き出したことだろう。

 
  似乎婴儿身上有着不可思议的力量。作家大庭美奈子女士基于生育经历,在随笔中写到“置之不管就会夭折,那种悲伤和绝望引发父母们惊人的力量”。这仅有265克的生命,也引发了医生和护生们非同一般的力量吧。


 退院していった赤ちゃんに、高階杞一さんの詩の一節が重なる。〈……今から何十億年か前 そんな 遠い昔からの約束のように 今 ぼくが ぼくという形になって ここにいる ふしぎだ〉。高階さんは息子を3歳で亡くした悲しみを胸に、いのちの言葉を紡いできた。

 
  高阶杞一先生诗中的一节,也同婴儿有关。“……像是距今几十亿年前的  那么遥远的约定  此时 我只剩下躯壳  为何我会置身于此”。高阶先生心念3岁夭折的孩子,用悲伤写下了生命的诗篇。


 新しい学年の始まる季節。自分も、まわりの友だちも、みんな遠い昔からの約束のように、学校に、クラスに集う。一人ひとり、一つずつ、いのちを持って。

 
  时下新学年即将开始。自己、身边的朋友,都像在履行很久以前的约定,在学校、班级里相遇。每个人,都有着一个属于自己的生命。

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