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100年前のきょう、少々思わせぶりな社告が朝日新聞に載った。当日からの紙面刷新の知らせに続けて、ある小説家の消息を、おおむね次のように伝えた。
100年前的今天,朝日报社故弄玄虚地发表了一个公告。在当天的改版通知之后,介绍了某个小说家的动态,大致如下——
「わが国の文学界の明星が、近く本社に入社することになった。新聞小説に評論に、その才能を発揮することだろう。さて、誰であろうか?」。思わせぶりは功を奏し、問い合わせが相次いだ。
“我国文学界的一位明星近期将会加盟本报。相信他一定能够在新闻小说以及评论中发挥其才能吧。那么,这位明星是谁呢?”故弄玄虚果然奏效,不断有人前来打听。
翌日、二の矢を放つ。「強いて(强逼;强迫;勉强)のお尋ねだから教えよう」と勿体(もったい)ぶって、「新入社は夏目漱石君」と明かした。東大講師でもあった漱石の転身は世を驚かせた。その年の「虞美人草」を皮切りに、「三四郎」「それから」「門」「こころ」などと、名作を次々に連載していく。
第二天,报社放出第二支箭。“由于读者'求知心切',那就公开吧”, 装腔作势地告知“新加盟本社的是夏目漱石”。时为東京大学講師的漱石改行当报社记者,此事令世人吃惊。以当年的《虞美人草》为开端,本报接二连三地连载了《三四郎》、《以后的事》、《门》和《心》等漱石名著。
100年後のきょう、朝日の紙面は新しくなった。この欄の筆者も代わった。とても漱石先生のような「明星」とはいかない。〈菫(すみれ)ほどな小さき人に生れたし〉は漱石の句だが、そう願う必要もない、もとより小さき人である。
100年后的今天,朝日的版面更新了。本栏的作者也更换了。本人无以成为漱石般的“明星”。“但愿生为平凡人/卑小恭谦如紫堇”,这也是漱石的名句,但我没有必要如此祈愿,因为我本平凡人。
無名も、有名も、多くが新しい舞台に立つ4月だ。進学、就職……海の向こうでは、新たな日本人選手が加わって大リーグが開幕する。そういえば漱石の盟友の正岡子規は大の野球好きだった。〈久方のアメリカ人(びと)のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも〉と歌に詠んだ。
无论有名抑或无名,许多人登上新舞台的4月到来了。升学、就职……在大洋的彼岸,新的日本选手加入的大联盟即将开幕。这么一说,漱石的盟友正冈子规也非常喜欢棒球。他曾经作过一首和歌:“久方のアメリカ人(びと)のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも”(试译:也许早于美利坚人/棒球已经百看不厌)
「久方の」は古来、「天(あめ)」などにかかる枕詞(まくらことば)だった。万葉の雅語を、子規は、新しい国アメリカの「アメ」にかけた。おおらかな茶目(ちゃめ)っけと自在の気構えに、心を開かれる思いがする。
“久方の”自古以来就是与“天(アメ)”等自然现象相关的枕词。子规把这一万叶集的雅语,谐音为新兴国家“アメリカ(美国)”中的“アメ”。他的诙谐大气以及用词自如的精神,让人感觉胸襟开阔。
伝統の上に、新しい言葉を刻んでいければと思う。
我想,要是能够在传统的基础上加进新的词汇那该多好啊。
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