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2007年03月29日の「天声人語」

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 一休さんのような少年僧が、暗い道に張られた縄に足をとられた。地面にしたたかに顔を打ち付け、血が噴き出す。しかし、少年は泣くこともなく寺に帰ってゆく。

 
一名和一休相仿的少年僧人,被暗路上拉起的绳子拌倒。脸重重的摔到地上,鲜血直流。而少年没有哭泣,径直返回寺院。


 「衣を着たときは、たとえ子どもでも、お坊さんなのだから、喧嘩(けんか)をしてはいけません」。少年は、縄を仕掛けた連中が近くに潜んでいるのを感じたが、この母の教えを守った。母は、血だらけで帰ってきた彼の手当てをし、抱きしめて言った。「よく辛抱したね」

 
“身着法衣时,即便是小孩,因为已经是和尚了,就不可以吵架”。少年察觉到拉起绳子的家伙就埋伏在附近,但仍然坚守了母亲的教诲。母亲给浑身是血的少年包扎后,抱紧他说“你做得很好”。


 80歳で亡くなった植木等さんが『夢を食いつづけた男』(朝日文庫)に書いた、幼い頃に受けた「いじめ」と母の記憶だ。住職だった父は、部落解放運動の闘士でもあった。治安維持法違反で入獄したり、各地の社会運動に出かけたりして寺に居ないため、植木さんが檀家(だんか)回りをせざるをえなかった。

 
这是80岁逝世的植木等先生在《猝食梦想的男人》(朝日文库)中记录的幼时受到“欺侮”和对母亲的记忆。身为住持的父亲,也是部落解放的战士。时常因违反法安条例入狱、参加各地的社会运动等不在寺内,植木先生不得不四处化缘。


 父・徹誠さんは後年、「スーダラ節」の「わかっちゃいるけどやめられない」のくだりについて、「親鸞の教えに通じるものがある」と言ったという。「人間の弱さを言い当てている」

 
据说父·彻诚先生对“撒达拉节”中的“完全明白,却无法停止”一句,说过“正如亲鸾的教诲”。“说中了人类的弱点”。


 おだてられてその気になったり、お呼びでないところに出てしまったり、あげくには、ハイそれまでよになってしまったり。人の弱さと浮世の切なさとを、底抜けの明るさで歌い、演じた。

 
或被煽动鲁莽行事、或没被邀请尴尬出场,或最终迎来“就到此为止”的结果等等。植木等先生用那无尽的开朗歌颂、演绎了人类的弱点和浮世的苦痛。


 「無責任男」として有名になったが、根は誠実で、思慮深い人だったという。いわば、世の中の「無責任感」を一身に背負うという責任感が、あの笑顔を支えていたのではないか。耳に残る数の「植木節」は、戦後の昭和という時を共にする多くの人の道連れであり、応援歌でもあった

 
虽因“不负责任的男人”而闻名,但据说他骨子里是个诚实、深思远虑的人。只身背负世间“无责任感”这一名词的责任感,不正是由那张笑脸来支撑的吗。尚在耳畔回响的“植木节”,既是与战后与昭和共同走过的多数人的同行者,也是首声援之歌。

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