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2007年02月28日の「天声人語」

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アカデミー賞の授賞式は、過去に幾つもの印象的なスピーチを生んできた。それに、もうひとつが加わった。「もう一度封筒を確認してくれるかな」
 
奥斯卡奖的颁奖典礼以前曾产生过几个让人印象深刻的致词。现在又增加了一个。麻烦再次确认下信封吧”
 81年以来6回目のノミネートで初の監督賞を受けた、マーティン・スコセッシ監督の念押しのジョークだ。生まれ育ったニューヨークを舞台にした「タクシー・ドライバー」などで名匠とうたわれてきたが、アカデミー賞では無冠だった。
 
 这是马丁导演慎重而诙谐的说法,他自81年以来经过第六次推荐获得了首个导演奖。虽然他以生他养他的纽约为舞台的“出租车司机”等作品博得了名导称号,但从未获得过奥斯卡奖。
 友人で、授賞式ではプレゼンターとなったスティーブン・スピルバーグ氏が述べている。「僕の映画が囁(ささや)きならば、マーティの映画は叫びだ」(『スコセッシはこうして映画をつくってきた』文芸春秋)。
  在颁奖典礼上,他的
朋友史蒂夫斯皮尔伯格作为颁奖嘉宾说到“假如我的电影是私语,马丁的电影就是呐喊”。
 確かに、「タクシー……」などで描かれた暴力の場面はすさまじく、それは「叫び」の世界と呼べるだろう。しかし、見終わって感じるのは、単なる後味の悪さなどではない。主人公たちの振るう暴力の源は、個人を超えた普遍的な所にあるように見える。暴力は、いわば時代の叫びであり、それは見る側の耳に残ってしまう。そういう意味では、危険な監督でもある。
 
的确“出租车司机”等电影中描述的暴力场景很可怕,那应该可以称为“呐喊”的世界吧。但是,看完后感觉到的并不仅仅是难过。似乎主人公们实施的暴力的根源已超越了个人,普篇存在于各处。暴力可以说是时代的呐喊,那会一直留在观看者的耳畔吧。在那种意义上他也是危险的导演。
 監督は以前、アカデミーはある程度ハリウッドの黄金時代の価値観に忠実な組織だが、自分の映画はそれとは正反対のものを描いているようだと述べたという。そして、「私は賞を取るよりはむしろ自分の好きに映画を作るほうを選ぶ」とも語った(『スコセッシ・オン・スコセッシ』フィルムアート社)。
 
据说马丁导演以前曾说,奥斯卡在某种程度上是一个对好莱坞黄金时代价值观忠实的组织,而他自己的电影描述的内容好像和它完全相反。他还说“如果在获奖和创作自己喜欢的电影间做出选择的话,我宁愿选择后者”。
 アカデミー賞での、無冠の時代は終わった。しかし、時代の叫びを描く仕事に、エンドマークは出そうもない。

 马丁导演在奥斯卡奖上的无冕时代结束了。但是,描述时代呐喊的工作好像并没画上句号。

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