论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=90581&page=1 通り道にある小学校の脇を歩いていると、いいにおいがしてきた。給食室で白い前掛け姿の人が、ずらりと並んだ皿に何かを盛りつけているようだ。ふと、給食代を払わない親たちがいるという記事を思い出した。
走在小学旁边的一条小道上,香味阵阵飘来。在食堂里,胸前挂着白色围布的小学生们整齐地列着队,饭盒里盛满了些什么。一下子,就想到了有报道说一些学生家长不支付餐费的事。
歓声が聞こえる。休み時間らしく校庭いっぱいに児童が遊ぶ。ドッジボール、縄跳び、追いかけっこ。入り乱れる様は昔と変わらない。あどけない笑顔を見つつ、今の学校が抱える問題の多さ、深刻さを思う。
欢闹声不绝于耳。大概是课休时间,小朋友都在操场上玩吧。躲避球啦,跳绳啦,追追跑跑啦。热闹的模样就一如我们当初。看着这些天真无邪的笑脸,不禁想到现在学校中存在的问题的繁多及深刻。
文部科学相の諮問機関の中央教育審議会の総会で、劇作家で評論家の山崎正和さんが会長に就任した。審議を見守りたいが、文科相が気になる発言をした。
在隶属文部科学大臣咨询机构的中央教育审议会的总会上,剧作家兼评论家山崎正和先生就任会长。暂且不讲审议的事情,文科大臣倒是做了令人不安的发言。
安倍首相が通常国会に提出する意向を示す教育関連3法案を巡り「2月中か3月上旬にはまとめていただきたい」と述べた。性急な感が否めない。
对安倍首相要求在通常国会上提出有关教育3法案意见的事,大臣指出“希望在2月中旬或3月上旬汇总意见”。是否太性急了点?
山崎さんは以前、日本の教育を改める必要性を指摘して、森鴎外の小説『青年』にふれた。「『日本人には人生がない』と嘆く一節があります。『学校に行けば人生があるだろう』『学校を出れば人生があるだろう』と急いでいるうちに、結局、人生を味わうゆとりもなく命が終わってしまう、というのです」(『二十一世紀の遠景』潮出版社)。この辺りにまで踏み込んだ深い論議を期待したい。
山崎先生之前曾指出日本的教育需要改革,森鸥外在小说“青年”中曾有触及。“其中有一段这么感慨着“日本人是没有人生的”。以为“进了学校就有人生了吧?”“学校毕业就有人生了吧?”,匆忙之中,还来不及品位人生,生命就已结束。”(“二十一世纪的远景“潮出版社)。希望能就这个主题进一步展开深入的讨论。
文科相は、教育は国家百年の計とも述べたという。それならば、設けるのは締め切りではなく、百年後に耐える議論をするゆとりにしてはどうか。時には、校庭で歓声を浴びてみる。一人一人が元気に育ってほしい。そんな思いが、心の底からわき起こってくるはずだ。
文科大臣称教育乃国家百年大计。这样的话,就不要设定截止时间,留出些经得起百年考验的讨论时间如何呢?时不时地,会到校园里感受那欢闹之声。真希望每个人都能健康成长。这样的祈原,应该是自然而然地从心底里涌现出来的吧。 |
2007年02月08日の「天声人語」
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