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2007年01月17日の「天声人語」

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ひと回り前の亥年だった95年の今日、阪神大震災が起きた。それから流れた12年は、例えば当時の小学1年生が大学生になるほどの長い年月にあたる。あの震災の記憶をこれからどう伝えてゆくのか、懸念する声もあるだろう。

前一轮亥年-1995年的今天,发生了阪神大地震。此后流逝的漫长的12等同于当时小学1年级的学生,而今已成长为大学生的岁月。对于那场地震的记忆,今后将如何流传下去,为之忧深思远的人想必会有吧。

日本では誰もが未来の被災者になりうる——。12年前にそんな思いをつづって本紙に寄せ、市民自らが鉛筆やワープロで体験を記録に残そうと訴えたのが、神戸市で被災した高森一徳さんだった。出版社を経営する傍ら「阪神大震災を記録しつづける会」の代表を務め、手記集を毎年出し続けた。

在日本,任何人都可能成为将来的受害者——。12年前,曾在神户市受灾的高森一德鉴于此想法,给本报来信,呼吁市民自己用铅笔或文字处理机将亲身体验记录并保存下来。他经营出版社的同时,还担任了“阪神大地震追踪报导会”代表一职,每年一直在提交手记集。

目標とした10冊目の「阪神大震災から10年 未来の被災者へのメッセージ」の校正を終えた04年の暮れ、惜しくも心不全のため57歳で急死した。「公の記録から漏れた普通の人のささいな記録を残したい」。この行動の原点は、広島の原爆にあったという。

2004年年末,完成了目标第10册《阪神大地震之后的10年·致未来受害者的信息》的校正工作后,他因心功能不全而猝死,享年57岁。“希望能保留官方记录所遗漏的普通百姓的见闻”。这一活动据说起源于广岛原子弹爆炸。

高森さんの父は、45年8月に軍人として広島市に入り被爆した。晩年に被爆手帳を申請する際、太田川の橋のたもとで見た言葉のことを説明した。

458月,高森的父亲身为军人进驻广岛市,遭到原子爆炸。晚年申请被爆手册之际谈及于太田川桥墩处看到的一句话。

「国破れて山河在り」。誰かがチョークで書き残したこの言葉が別の人の記録と合致し、被爆体験として認められた。「小さなことだが誰かが記録してくれていたおかげ」と、高森さんは生前に語っていたという。

“国破山河在”。不知是谁用粉笔写下的话语与其他人的记忆相一致,作为遭受原子弹爆炸的体验而被认可。据说,高森生前这样说道:“虽说是件很小的事情,但多亏记录了下来”。

12年前の本紙を開く。日を追って死者数が増えてゆく。20日の朝刊に文字だけの見開き(みひらき)の面がある。犠牲者の名前と年齢と住所で、二つの面がすべて埋まっている。戦後最悪となった災害の墓碑銘を、「未来の被災者」への無言の伝言として記憶し直した。

翻开12年前的报纸。随着时间的推移,死者人数与日俱增。20日的朝刊上,有两个版面仅仅只有文字,其上密密麻麻记载了死亡者的姓名、年龄及住所。将战后最惨痛灾难的墓志铭作为留给“未来受灾者”的无声警示,重拾以往的记忆。

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