论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=85067&page=1 きょうとあす、左義長(さぎちょう)の火が各地で燃えることだろう。どんど焼き、とも呼ばれる小正月の祭事である。高く組んだ竹や木に、松飾りなどを結わえて焼く。火に神秘を見た往古の名残か、その炎を「若火」とあがめる地方もある。 今明两天,各地都会点燃“左義長”之火吧。这是一种过小年习俗,也叫“爆竹节”。在高高的竹枝、树枝捆上,绑上新年装饰物松枝等一起焚烧。或许出于对将火看得很神秘的远古时期的怀恋,有的地方将那火焰尊崇为“若火”。 古人の畏怖(いふ)した火に、東京で野外教育のNPOを主宰する大西琢也さん(31)が魅せられて10年になる。マッチやライターを使わない「原始の火」を求め、きりもみ式の火起こし術を磨いてきた。 在东京主持野外教育NPO的大西琢也(31),倾迷古人敬畏之火已有10年了。追求不使用火柴、打火机的“原始之火”,钻研钻木取火式的打火技术。 地面に置いた木の板(火錐臼(ひきりうす))に鉛筆よりやや太い棒(火錐杵(ひきりきね))をあてがい、手のひらではさんで、押しつけるように回す。続けていると煙が出て、熱く焦げた木くずがたまってくる。ケシ粒のようなそれが「火の赤ちゃん」だ。 将略粗于铅笔的棒(打火杵)贴放在地面木板(打火臼)上,用掌心搓。搓着搓着就会冒出烟,发热变焦的木屑越聚越多,像罂粟粒籽那么大,那就是“火宝宝”。 それで成功、ではない。放っておけば種火はすぐに消える。「赤ちゃん」を麻の繊維でくるみ、指でつまんで大きく腕を回す。こうすることで中に空気を送り込む。すると麻玉はぽっと燃えあがる。炎の誕生である。 这还不算成功。如果就这么放着,火种一会儿就没了。要将“火宝宝”用麻布包裹好,然后用手指捏住,再大幅转动手腕。这样空气就进入里面了,麻球会忽地燃烧起来,这就是火焰的诞生。 力まかせでは火はつかない。大西さんは失敗を重ね、謙虚になった。「木には火が隠れている。人間はそれをいただくだけ」。「起こす」のではなく「いただく」のだと悟ると、不思議に上達した。3年前には空気の薄い富士山頂でも成功した。 劲使得太大会点不了火。大西先生经历了无数次失败,变得很谦虚。 「燃す」という随筆を、幸田文はかつて朝日新聞に寄せた。庭で紙くずや枯れ葉を燃やしながら、その熱をいとおしみ、「ものの最後の力だと思うと、その火を惜しまずにはいられない」とつづった。「最後の力」で餅や団子を焼いて食べ、一年の無病息災を願う左義長もある。 幸田文曾经给本报写过一篇名为“燃烧”的随笔。在院子里烧着纸屑、枯叶,对着它们发出的热量,顿起怜悯之心,他写道,“当我想到这是物品留在世上的最后的力量,不由得对那火焰万分珍惜”。利用“最后的力量”做年糕、元宵来吃,祈愿一整年无病无灾,左義長习俗也是一种珍惜。(还有一种珍惜叫“左義長”,利用“最后的力量”做年糕、元宵来吃,祈愿一整年无病无灾。???)
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2007年01月14日の「天声人語」
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