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2007年01月09日の「天声人語」

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松飾りを外した家と、まだ飾っている家が混在する通りを歩きながら考えた。平成の時代も、来年は20年になる。昭和という時代が一歩遠のいてゆく気がした。

走在间有除去门松的和仍装饰着门松的房子的街道上思考着。平成年代到明年就20年了。感觉昭和时代又远离我们了一步。

昨年末から昭和を象徴するような人たちの訃報(ふほう)が相次いだ。財界のご意見番と言われた諸井虔さんに続き、年明けには、昭和の国民的食品となった即席ラーメンを発明した安藤百福さんが亡くなった。

自去年末起,象征昭和时代人物的讣报接踵而至。继称为财政界最直言不讳的诸井虔辞世,新年伊始,发明了昭和国民食品-方便面的安藤百福业已去世了。

大阪の闇市のラーメン屋台の前で、人々が行列して辛抱強く待っている。安藤さんの脳裏に焼き付いた終戦直後の風景が、後に食の風景を変えるような発明につながったという。昭和の時代が、安藤さんを通してもたらした発明とも言えるだろう。

大阪夜市拉面摊头前,人们排起长队耐心地等待着。烙在安藤脑海中终战刚过的风景,据说,之后却成为改变食风景发明的机缘。这可以说是昭和时代籍由安藤所带来的发明吧。

〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉。この中村草田男の句は昭和6年、1931年1 月の句会に出されたという。師の高浜虚子は句会では選び採らなかった。しかし、帰りのエレベーターでたまたま同乗した草田男を見て「あの句は矢張り採って 置こう」と言い、虚子選に追加された(宮脇白夜『新編草田男俳句365日』本阿弥書店)。

(飘雪与明治渐逝)。中村草男的这一句,据说曾在昭和6年,19311月的句会上亮相。当时,其师高浜虚子并未采纳。然而,他在回去的电梯中巧遇同乘的草田男,说道“那句还是采用,留下吧”,追加于虚子选(宫胁白夜《新编•草田男俳句365日》本阿弥书店)。

句は大雪の日、かつて学んだ東京の小学校の前で生まれた。降りしきる雪の中に居ると、時と場所の意識が空白となり、現在がそのままで明治時代であるかのような錯覚と、明治時代が永久に消えてしまったとの思いが同時に強まったという。

据说,该句是在大雪天,在曾经就读的东京小学校前写出来的。身处稀稀簌簌的雪中,时间和空间的意识荡然无存,仿佛现在本身就是明治时代的错觉,与明治时代已经永远地消失了的念头同时变得格外强烈。

今日、防衛庁が防衛省になる。長く「庁」だったことには、軍が暴走した昭和の一時代への深い反省が込められていたはずだ。年ごとに昭和が遠くなっても、その反省だけは、遠いものにしたくない。

今天,防卫厅变成了防卫省。长久以来“厅”一词,蕴含着对军阀横行的昭和时代的深刻发省。即使昭和时代随着岁月远去,只是不希望这一反省,也随着而去。

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