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2007年01月03日の「天声人語」

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毛筆で字を書くことは、めったに無い。何かの折に筆で記名を求められると、少したじろぐ。いざ筆を紙に下ろすと、手加減次第でいかようにも太く、あるいは細くなってしまう頼りなさに戸惑う。そして同時に、力の入れ具合で千変万化する毛筆の融通無碍(ゆうずうむげ)な魅力をも感じる。

现在几乎不用毛笔写字了。如果在某些场合需要用毛笔签名时,便会有些踌躇。一旦在纸上落笔,随着手势的移动变化,无论如何,笔画总会或粗或细,总感到一种没有把握的不知所措。同时还感觉毛笔的运笔方法有一种千变万化、融会贯通的魅力。

 

译注:1、てかげん【手加減】(名)スル (1)手を使って動作をする時の力の入れ具合動かし方など。(2)相手の程度やその時々の状況に応じて適当に調節すること。てごころ。

2、次第:(接尾词),放任,全凭。

 

書の世界で生きる達人の作を集めた「現代書道二十人展」を見てきた(東京上野松坂屋で 8日まで)。それぞれの作風を伝える漢字のみ、あるいはかなまじり、そしてかなが主の作品が並ぶ。漢字の持つ潔さや主張性、かなの、はかなそうでいてしなやかな様がうかがえる。

我参观了现代书法二十人展(東京上野松坂屋,本月8月闭幕),该展览汇集了活跃于书法界的各位名家的作品,展示了风格各异的纯汉字、汉字·假名混合,以及假名为主的书法。汉字之简洁和张扬,假名之虚无和圆柔,可见一斑。

 作品に近づいて筆の運びを想像していると、書には現代人が忘れかけたものを思い起こさせるところがあるという気がしてきた。それは、書かれた文言が古来のものというよりは、書が、いわば無数の曲線で成り立っていることから来るようだった。

我走近这些书法作品,想象其运笔情形,感觉书法有一种能把现代人即将忘却的东西唤起的力量。这种感觉,与其说是缘于书法中所写的文言是古来的文化,莫若说是缘于书法是由无数曲线构成的这个特点吧。

译注:—かける,接尾词,即将。
 

文字、特に漢字は直線が印象的だが、人間が書いたものは厳密な直線にはならない。どの線も、わずかにせよ丸みやくねりを持っている。それが、活字とは違って、書き手の独特の息吹を伝えてくる。

文字,特别是汉字,给人的印象是有很多直线,但人们手写的文字却不是严密的直线。无论写哪种笔画,或多或少都会有些圆柔和弯曲。它(手写文字),与活字印刷不同,洋溢着手写书法独有的气息。

文字を手で書きつづることは、手や筆を翻し、回すことにつながる。これと大きく異なるのは、手で打つ、あるいは指で押すというパソコンなどを使った文字の入力だ。

手写文字是与手和笔的翻动与运转相关连的。而与之炯然不同的是使用电脑等的文字输入,它们是用手敲打或者说是用手指按键的。

 文字の世界だけではなく、テレビのチャンネルにしても電話にしても、回すから押すへと変わった。この「押す時代」を押し戻すことは難しいだろう。しかし時には、回すという古(いにしえ)の動作に立ち返ってみたい。


不仅在文字领域,电视频道、电话形式,也都从拨号变为按键。想把这按键时代按回过去恐怕是很难的吧。但是,有时却很想试着恢复一下那用手转动的古老动作。

 

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