论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=79981&page=1 日本の敗戦の混乱の中で、中国に残された子供たちを「中国残留日本人孤児」と呼ぶことが多い。作家の井出孫六さんは、言葉の厳密さを著しく欠くと書いている。「自らの意思で『残り留まった』ひとなどいるわけはなく、さまざまな事情で『置き去』られた人びとであった」(『終わりなき旅』岩波書店)。 人们通常把日本在战败的慌乱中遗留于中国的孩子称为“中国残留日本人孤児”。作家井出孫六指出,此称呼严重缺乏语言的严密性,“他们中,应该没有哪位是自愿‘留下’的,而是由于各种各样的原因被遗弃的”。
置き去られた事情は個々に違っても、置き去られた状況は日本の敗戦によるものだった以上、置き去った主体は国家といってよいと続く。「『残留』ということばからは、主体の姿も消し去られているといえぬだろうか」 井出孫六接着写道,虽然被遗弃的原因各不相同,但只要是在日本战败的状态下被遗弃的,那么,遗弃的主体可以说就是“国家”。“不能够说,使用了‘残留’这个词,就已把遗弃的主体从中消除了吧” その「主体」の責任を厳しく問う判決を、神戸地裁が言い渡した。孤児の帰国の妨げとなる違法な措置を講じたうえ、帰国後も自立を支援する義務を怠ったとして、国に賠償を命じた。孤児を日本人と認めず、外国人として扱う方針を貫いたとも指摘した。 一场关于严究该“主体”责任的宣判,在神户地方法院举行。法院以国家采取妨碍孤儿回国的违法措施,以及没有履行义务帮助回国孤儿自立为由,责令进行国家赔偿。同时指责国家不承认孤儿为日本人,而是贯彻“以外国人差别对待”的方针。
“我并不认为遗弃儿女逃生的日本人是冷酷的……如果不遗弃他们,毫无疑义大家都活不了吧。正因为被遗弃了,孩子们才能免于一死。”这话是养育“残留孤儿”的一位中国人说的。 確かに「捨てたからこそ」かも知れない。しかし、この人のように、国籍を問わず育ててくれた人たちが居たからこそ生きられたのだろう。 也许确是“正因为被遗弃了,才……”。但是,如果没有象上述这个,不问国籍而甘愿养育他们的中国人,孤儿们能够活下来吗?
「落葉帰根」。いつかは日本という根に帰りたいとの思いを込めて、孤児たちが口にする言葉だという。中国で置き去りにされた人たちを、帰り来た木の根元で再び置き去りにしてはなるまい。
“落葉帰根”。据说这是孤儿们期盼何时回归祖国日本时常说的一个成语。在中国被遗弃的孤儿们,大概不会在他们“落葉帰根”的祖国再度被遗弃吧。
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2006年12月02日の「天声人語」
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