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2006年11月29日の「天声人語」

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  スウィフトの「ガリバー旅行記」には、ガリバーが江戸で「踏み絵」をさせられそうに
なる場面がある。「皇帝」はガリバーがクリスチャンではないかと疑うが、結局は踏み絵
を免除してやる。
   
乔纳森·斯威夫特的小说《格列弗游记》中,有段是描写格列弗在江户差点被要求踩教会里的圣
画的场面。虽然皇帝怀疑格列弗可能是基督徒,但最终还是免去了踩圣画这一关。
 

踏み絵の登場する小説「沈黙」を著した遠藤周作さんにとっては、長崎で偶然に見た一枚の踏み絵が執筆への衝動となった。踏み絵は、十字架からおろされたキリストを抱きかかえるようにした聖母の像だった。木枠に、多くの人々に踏まれてついた黒い足指の痕(あと)らしいものがあった。
   在远藤周作所写的小说《沉默》中也有对于踩圣画的描写,对于远藤而言,在长崎的一次偶睹圣画的情景,便触发了他写该小说的灵感。画面是圣母抱着被从十字架上解救下来的耶蘇。画框里有许多被人踩过而留下的黑脚印。

その踏み絵の周りで起きたことを考えるうちに、こんな心境に至る。「それは強者と弱者、——つまりいかなる拷問や死の恐怖をもはねかえして踏絵を決して踏まなかった強い人と、肉体の弱さに負けてそれを踏んでしまった弱虫とを対比することだった」(『遠藤周作文学全集』新潮社)。
 
 在我思想着这幅圣画的周围所发生的故事时,我突然有感而发“那就是强者与弱者之间,即不管怎么样的拷问、或者用死来恐吓,都坚持抗战到底,绝不踩圣画的强者与受不了肉体的上的痛苦而屈服踩画的弱者之间鲜明的对比。”(新潮社 《远藤周作文学全集》)

命がけの、ぎりぎりの選択を迫られた踏み絵の時代は遠く去ったが、国会の周りでは、一枚の「誓約書」を巡る「踏み絵騒動」があるという。昨年の衆院選で郵政民営化法案に反対して当選した12人が、自民党に復党する条件として提出を求められた。
  
已经远去了赌上生命去受迫踩圣画的时代,然,在国会周遭,却出现了因一纸“誓约书”而引起的踩画骚动。在去年的众议院选举中,对于邮政民营化法案持反对态度而入选的12人,被议会告知,这(必须得“踩画)便是以恢复自民党身份的条件。

この12人に投票した人の多くは、当時の自民党や民営化法案に批判的だったのではないか。首相が、これこそが争点だと言った問題で自民党に反対した有権者の思いを、当時と今の党総裁はどう考えているのか。
 
 有不少人投了这12人的票,这些投票的人不也是站在反对自民党和邮政民营化的立场上的么?首相曾说“这才是争论的重点”这个问题上,对于当时的和现在的党总裁来讲,他们是如何考虑那些对自民党持敌对态度的选民的思想的呢?

 「選挙で勝つためなら、何をやってもいい」。次の参院選をねらった、そんな党利党略、私利私欲の世界に持ち出されて、「踏み絵」も悲しんでいるだろう。

“为了能当选,可以不择手段。”对于下届参议院的选举,已经有不少党利党略、私利私欲的瞄头出现了,“踩画”也定会很悲哀吧

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