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2006年11月04日の「天声人語」

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人はなぜか、最果ての地に心引かれる。たとえば、ユーラシア大陸の西の果てとなるポルトガルのロカ岬。アジアから延々と続いてきた大地が、そこで大西洋に沈み込む。「ここに地果て、海始まる」。そそり立つ絶壁の上に詩碑が立つ。

人为何总被大地的尽头所吸引?例如,被称为欧亚大陆最西端的葡萄牙罗卡角。从亚洲绵绵延伸的大地,在这里沉入大西洋。高耸的悬崖峭壁上立着一块字碑,写着:“大地尽头、海洋开端”。


 その岬の夕日を待つ間にカフェで書きかけ、結局出さなかった手紙のことを、高倉健さんが自著『あなたに褒められたくて』(集英社)に書いている。それから何年も後、部屋を片づけていた時に、その手紙が出てくる。気持ちが一気にロカ岬に連れ戻される。そして、岬からそう遠くないサンタクルスという漁村にかつて住んだ作家、檀一雄の一句をつぶやく。〈落日を拾ひに行かむ海の果〉。


高仓健先生的自著《期待着您的夸奖》中写过一件事:他在那个海岬的一家咖啡馆里等待落日西沉时,着手写一封信,但信最后并没有寄出去。许多年以后,当他收拾房间时,又看到这封信。思绪一下子又被带回到罗卡角。于是,他口中轻吟着作家檀一雄的句子“去将落日拾起吧/在那海之角”。檀一雄昔日曾住在离海岬不远处一个叫圣克鲁斯的渔村里。

 ロカ岬でペンを握りつつ、沈む夕日に向かう男の姿が、鮮やかに、そして切なく目に浮かんでくる。最果てとの取り合わせが、これほどしっくりとくる役者も少ないだろう。

我的眼前浮现出在罗卡角面对西沉的夕阳,手里握着笔的男人身影,鲜活而又悲伤地。能够和天涯海角达成如此和谐默契的演员为数不多吧。

 「南極物語」や「八甲田山」といった実際の地の果てや秘境の映画だけではない。「昭和残侠伝」のような任侠(にんきょう)映画も、いわば「いのちの最果て」の物語にみえる。極限の地や、極限の立場に置かれた人を演じてきた高倉さんが文化功労者に選ばれた。

并不只是《南极物语》和《八甲田山》此类的、有具体大地尽头和秘境地点的电影,像《昭和残侠传》这样的侠客电影,也可以看作是另一种尽头—— 生命极致的故事。一向扮演身处极限境地、绝境立场角色的高仓健先生,当选为“文化功劳者”。

以前、こう述べたことがある。「孤独な作業に命をさらし……揉(も)まれに揉まれ悶(もだ)え苦しんだ者だけがやさしくてしなやかな心を持つことができる。僕はそういう人間に感動しますね (アサヒグラフ)。

以前他曾说过这样的话:“在孤独的劳作中耗尽生命……只有历经磨难和痛苦的人才能拥有一颗善良而柔韧的心。我为这样的人而感动啊”

デビューから半世紀になる。役は様々に変わっても、悩みや苦しみの果てに宿るやさしさを、伝え続けようとしているようだ。

他初涉影坛至今已有半个世纪,虽然扮演的角色变化多端,但是这些角色仿佛都传颂着蕴涵于无限悲伤和痛苦之中的那种善良之情。

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