论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=68459&page=1 光が差したかと思うと、すぐに厚い雲に閉ざされる。はるか北方を進んでいる台風の影響なのか、きのうの東京の空は気まぐれだった。 どんよりとした空の下、庭先の棚のそこここに、大ぶりの黄色い花が咲いている。花が終わって実を結び、ぶらりと長く垂れ下がった糸瓜(へちま)が十と幾つ。正岡子規の命日の糸瓜忌に、JR山手線の鴬谷駅からほど近い根岸にある「子規庵(あん)」を訪ねた。 1902年、明治35年、子規はこの地で、重いカリエスの病床にあった。亡くなる少し前に残した文がある。「余は四五日前より容態が急に変つて、今迄も殆ど動かす事の出来なかつた両脚が俄に水を持つたやうに膨れ上つて一分も五厘も動かす事が出来なくなつたのである」(『子規全集』講談社)。 この「九月十四日の朝」と題する文は、子規が口述したのを弟子の高浜虚子が筆記した。その5日後に他界する。〈糸瓜咲て痰(たん)のつまりし仏かな〉。当時の住居を再現したという庵で、絶筆となった句を思い浮かべながら庭に下りる。 そう広くはないが、草木がいっぱいに茂っている。秋の七草のフジバカマはまだつぼみだが、萩は、弓のようにしなった枝に小さな白い花をたくさんつけている。子規に、こんな句があった。〈白萩のしきりに露をこぼしけり〉。 子規の生涯は、34年と11カ月だった。「仰臥漫録」などに記されたような病苦の中で俳句と短歌の革新に力を尽くし、澄明で詩情あふれる言葉を死に至るまで紡ぎ続けた。明治に改元される前年の生まれで、来年が生誕から140年になる。 子规的一生只有34年11个月。如《仰卧漫录》等所记载,在病痛中,依然致力于俳句和短歌的革新,毕生追求洋溢着清澈并富诗意的文字直至终死。出生于明治改年号的前一年,明年将是其诞辰140周年。 |
2006年09月20日の「天声人語」
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