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2006年09月20日の「天声人語」

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光が差したかと思うと、すぐに厚い雲に閉ざされる。はるか北方を進んでいる台風の影響なのか、きのうの東京の空は気まぐれだった。
刚感觉有少许阳光,不想立即又被厚厚的云层遮挡住了。许是受到向遥远北方推进的台风的影响,昨日东京天气变化无常。

どんよりとした空の下、庭先の棚のそこここに、大ぶりの黄色い花が咲いている。花が終わって実を結び、ぶらりと長く垂れ下がった糸瓜(へちま)が十と幾つ。正岡子規の命日の糸瓜忌に、JR山手線の鴬谷駅からほど近い根岸にある「子規庵(あん)」を訪ねた。
阴沉的天空下,庭院的凉棚上到处盛开着大朵的黄花。花落结果,垂下十几根长长的丝瓜。正冈子規的忌日丝瓜忌那天,拜访了临近JR山手線的鴬谷车站,位于根岸的“子规庵”。

1902年、明治35年、子規はこの地で、重いカリエスの病床にあった。亡くなる少し前に残した文がある。「余は四五日前より容態が急に変つて、今迄も殆ど動かす事の出来なかつた両脚が俄に水を持つたやうに膨れ上つて一分も五厘も動かす事が出来なくなつたのである」(『子規全集』講談社)。
1902年、明治35年,子规在此地,因患严重的骨疽而卧病在床。临终前留下此文:“比起四五天前,病情急转直下,如今几乎是不能挪动的双脚像注入了水般不一会就会肿胀起来,丝毫无法动弹。”(《子规全集》讲谈社。

この「九月十四日の朝」と題する文は、子規が口述したのを弟子の高浜虚子が筆記した。その5日後に他界する。〈糸瓜咲て痰(たん)のつまりし仏かな〉。当時の住居を再現したという庵で、絶筆となった句を思い浮かべながら庭に下りる。
这篇名为《九月十四日早晨》的文章,是由其弟子高浜虚子根据子规的口述而完成的。5天之后,子规便离开了人世。丝瓜初盛开、痰壅塞命噎成佛身处再现其居所的庵前,脑海中浮现起其绝笔的诗句顺势走下庭院。

そう広くはないが、草木がいっぱいに茂っている。秋の七草のフジバカマはまだつぼみだが、萩は、弓のようにしなった枝に小さな白い花をたくさんつけている。子規に、こんな句があった。〈白萩のしきりに露をこぼしけり〉。
庭院虽不宽阔,但草木却长得茂盛。秋日七草的泽兰仍在含苞待放,萩也在像弓一样的枝头缀满了不少白色的花朵。子规写有这样的诗句:“白枝、凝珠欲滴。”

子規の生涯は、34年と11カ月だった。「仰臥漫録」などに記されたような病苦の中で俳句と短歌の革新に力を尽くし、澄明で詩情あふれる言葉を死に至るまで紡ぎ続けた。明治に改元される前年の生まれで、来年が生誕から140年になる。

子规的一生只有3411个月。如《仰卧漫录》等所记载,在病痛中,依然致力于俳句和短歌的革新,毕生追求洋溢着清澈并富诗意的文字直至终死。出生于明治改年号的前一年,明年将是其诞辰140周年。

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