论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=66123&page=1 2016年の8月12日、2度目の東京オリンピックの幕が開いた——。となるかどうかは、まだまったく分からない。開催都市が最終的に決まるのは09年だ。しかし日本の候補地は、東京と決まった。 1964年の五輪から42年、人の半生にもあたる時が流れた。それでも、沸き返るような熱気と感動的な場面の数々は今も鮮やかによみがえってくる。五輪の開催そのものが、敗戦から再生して世界の舞台に復帰する証しのようだった。 あの時、東京は激変した。道路が町を削り、道の上に道が造られ、川は埋め立てられて道になった。その変容を悲しむ視線もいくらかはあったが、戦後を克服する五輪という旗印を掲げた大波にのまれた。しかし今、当時のような多くの国民を束ねる強い旗印があるとは思えない。 都は「アジアで初めてとなる2回目の五輪」を掲げるが、どれほどの意味があるのか。もし五輪を新しい改造のきっかけにするのなら、前の五輪の功罪を見つめることが肝要だ。 あの大改造の中で、日本橋は高速道路にふたをされてしまった。その日本橋の空を取り戻そうという動きがある。大金をかけてふたをし、今度は膨大な資金を使ってふたを外すという。高速道が覆っているのは、果たして橋だけだろうか。人間も、ではないか。あの時代の「改造パニック」そのものを省みる必要がある。 福岡が東京に敗れたとは思わない。この国の多くの市がミニ東京化する中、この街は独自の魅力的な「都市の肖像」を備えている。それを磨くのに、必ずしも五輪は要らない。 没有想到福冈输给了东京。这个国家的大部分城市都正在建造着迷东京,这个城市正在筹备具有独特魅力的“城市肖像”。要打磨肖像,也不一定需要奥林匹克。 |
2006年08月31日の「天声人語」
文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语