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2006年08月31日の「天声人語」

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 2016年の8月12日、2度目の東京オリンピックの幕が開いた——。となるかどうかは、まだまったく分からない。開催都市が最終的に決まるのは09年だ。しかし日本の候補地は、東京と決まった。
2016年的812日,在东京召开第二次奥林匹克运动会”,能否实现还不知道。09年才能最终确定举办城市。日本将东京定为候选城市。
  2016年の8月12日、2度目の東京オリンピックの幕が開いた——。となるかどうかは、まだまったく分からない。開催都市が最終的に決まるのは09年だ。しかし日本の候補地は、東京と決まった。
2016年的812日,在东京召开第二次奥林匹克运动会”,能否实现还不知道。09年才能最终确定举办城市。日本将东京定为候选城市。
 

 1964年の五輪から42年、人の半生にもあたる時が流れた。それでも、沸き返るような熱気と感動的な場面の数々は今も鮮やかによみがえってくる。五輪の開催そのものが、敗戦から再生して世界の舞台に復帰する証しのようだった。
1964奥林匹克至今已经42年,相当于近半生的时间已经过去了。但是,人声鼎沸的热潮和很多感动的场面,现在又变得鲜活起来。奥林匹克的举办似乎是日本战败后,又回归到世界舞台的证明。
 

 あの時、東京は激変した。道路が町を削り、道の上に道が造られ、川は埋め立てられて道になった。その変容を悲しむ視線もいくらかはあったが、戦後を克服する五輪という旗印を掲げた大波にのまれた。しかし今、当時のような多くの国民を束ねる強い旗印があるとは思えない。
当时,东京发生了巨大的变化。道路分割了城镇,又建造立交桥,填埋河流改造成道路。也有些人曾对这种变化感到悲伤,但却被举起克服战后窘况的奥林匹克大旗的潮流所吞没了。可是现在,我不觉得还有象能团结起当时那么多国民的坚定的旗帜。
 

 都は「アジアで初めてとなる2回目の五輪」を掲げるが、どれほどの意味があるのか。もし五輪を新しい改造のきっかけにするのなら、前の五輪の功罪を見つめることが肝要だ。
城市里举办“亚洲首次的第二届奥林匹克”,有着怎样的意义呢。如果要成为改造的契机,关键是寻找上次奥林匹克中的功与过。
 

 あの大改造の中で、日本橋は高速道路にふたをされてしまった。その日本橋の空を取り戻そうという動きがある。大金をかけてふたをし、今度は膨大な資金を使ってふたを外すという。高速道が覆っているのは、果たして橋だけだろうか。人間も、ではないか。あの時代の「改造パニック」そのものを省みる必要がある。
在那次大改造中,高速公路架到了日本桥上。之后发生了一个重新还大桥自由天空的运动。花大把的钱给大桥加上了一个盖儿(指高速公路),现今又花更多的钱把盖儿取掉。高速公路所遮盖的,真的是只有大桥吗。是不是还有众人呢?真有必要反省一下那个时代的“改造混乱”。
 

 福岡が東京に敗れたとは思わない。この国の多くの市がミニ東京化する中、この街は独自の魅力的な「都市の肖像」を備えている。それを磨くのに、必ずしも五輪は要らない。

没有想到福冈输给了东京。这个国家的大部分城市都正在建造着迷东京,这个城市正在筹备具有独特魅力的“城市肖像”。要打磨肖像,也不一定需要奥林匹克。

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