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2006年08月11日の「天声人語」

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街角で、店の夏休みを告げる張り紙を見かけた。地下鉄がすいている。旅に出る人がふくらむ時季になった。電車や車で旅をすると、意外なほど多くの川を渡ることに気づく。川の名は地名ともつながっている。旅するとは地名と出会うことでもある。
在街角,看到了商店的暑期停业的通知。地铁里人也不多,现在正是人们纷纷外出旅游的季节。乘电车或汽车旅游,发现会过很多很多的河流。河名与地名也有关联。去旅游也是在认识地名。
  街角で、店の夏休みを告げる張り紙を見かけた。地下鉄がすいている。旅に出る人がふくらむ時季になった。電車や車で旅をすると、意外なほど多くの川を渡ることに気づく。川の名は地名ともつながっている。旅するとは地名と出会うことでもある。
在街角,看到了商店的暑期停业的通知。地铁里人也不多,现在正是人们纷纷外出旅游的季节。乘电车或汽车旅游,发现所经过的河流多得超乎想象。河名与地名也有关联。去旅游也是在认识地名。
 

  全国の地名や、それと縁の深い名字の研究に取り組んだ丹羽基二さんが86歳で亡くなった。子供のころから名字に関心があり、国学院大では民俗学者の柳田国男に学んだ。「苗字(みょうじ)を課題にしたい」と告げると、柳田は「憐(あわ)れむように見つめ」、「それでは食えないぞ」と言ったと丹羽さんは書いている(『日本人の苗字』光文社)。
致力于研究全国地名及与其关系深远的名字的丹羽基二去世了,享年86岁。他自幼对名字感兴趣,在国学院大向民俗学者的柳田国男学习。他在书中写道,当自己说“想以姓为研究课题”时,柳田说“那样的工作是很可怜的”,“那样是无法生活的”。(《日本人的姓氏》光文社)。
 

  名字の研究は、すぐに暮らしに役立つわけではないから、公的な後ろ盾は期待できない。丹羽さんは高校教師をしながら研究を続け、約29万件の名字を約半世紀かけて集めた「日本苗字大辞典」などを編んだ。
因为名字的研究,并不会对生活马上起作用,所以不能期望得到政府的支持。丹羽一边做高中老师一边继续研究。历经约半个世纪收集到了约29万个名字,并编著了《日本姓名大辞典》等。
 

  81年、東京の植物学の研究者が、私費を投じて10年がかりで地名12万余を集めて分類し「日本地名索引」を刊行した。副産物もあり、例えば地名に使われている漢字は、山が一番多くて1万を超え、次は田で約9千、以下、川、大、野の順と分かった。
1981年,东京的植物学家自费搞研究,他历经10年时间收集地名12万多条,并分类发行了《日本地名索引》。伴随研究完成也出现了意外收获。例如,地名中使用的汉字中,“山”字最多已经超出了1万条。其次是“田”字约9千条。之后的顺序是“川”“大”“野”。

 当時、丹羽さんは発刊をこう評価した。「小字(こあざ)まで入れると日本の地名は推定1千万にもなる……しかし実際にこのような裏づけのあるデータが得られたのは、初めてのこと。貴重な仕事です」。市井の人の努力への共感もあったのだろう。
当时,丹羽是这样评价他的出版的。“如果把村子里细小的地名也算进去的话,日本的地名大概会有1千万个......但是,实际得到这样确凿的数据,都是最初的工作。也是很重要的工作”大概是对平民的这种努力有同感吧。

 人生の旅で出会った地名を愛着をもって記し、それが、時の流れでいたずらに消されてゆくのを惜しんだ。
    
带着眷恋之情记录人生旅途中遇到的地名,里面珍惜着,随着时光的流逝将白白的消失的记忆。

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