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2006年08月10日の「天声人語」

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 「夏のあらゆる星座が、われわれにいどみかかるようにして出ている」。司馬遼太郎さんはモンゴルで、満天の星に押しひしがれるような体験をした。「うかつに物を言えば星にとどいて声が星からはね返ってきそうなほどに天が近かった」(街道をゆく・モンゴル紀行)。
“夏天所有的星座,像要挑战我们一样都跑了出来”。 司马辽太郎在蒙古体验到满天繁星的美丽。“觉得离天特别近,似乎一说话声音就会传到星星那儿又迅速传回来一样”(街道漫步.蒙古纪行)。
   「夏のあらゆる星座が、われわれにいどみかかるようにして出ている」。司馬遼太郎さんはモンゴルで、満天の星に押しひしがれるような体験をした。「うかつに物を言えば星にとどいて声が星からはね返ってきそうなほどに天が近かった」(街道をゆく・モンゴル紀行)。
“夏天所有的星座,像要挑战我们一样都跑了出来”。 司马辽太郎在蒙古体验到满天繁星的美丽。“觉得离天特别近,似乎一说话声音就会传到星星那儿又迅速传回来一样”(街道漫步.蒙古纪行)。
 

  大草原を渡る風、空に浮かぶ雲、果てしない大地。詩人ナツァクドルジがうたう。「広く大いなる荒野原/南のかたをさき守る砂丘の海原/これぞわが生れしふるさと/モンゴルの美しきくに」(田中克彦『草原と革命』晶文社)。
微风掠过辽阔的草原,天空飘浮着洁白的云朵,无边无垠的大地。看到这些,诗人纳查格道尔济唱道:“辽阔无边的原野/保卫南方的沙海/我出生的伟大的故乡/倾听这蒙古的美丽”(田中克彦《草原与革命》晶文社)
 

  チンギス・ハンがモンゴル帝国を創設して今年で800年になる。帝国はアジアから欧州にまで版図を広げた。そのころ西に遠征したと思われる兵士が、白樺(しらかば)の樹皮に書き残した望郷の詩がある。「今やときぞ、我とびたたん/我は呼びかく/我が母に、何にもましていとしき母に……今こそ我、故郷に帰らん」
成吉思汗创建蒙古帝国,至今已有800年。帝国版图从亚洲扩展到了欧洲。“此时此刻,我不远飞/大声呼唤您/我可爱的母亲,我没有给你什么,......此时的我还不能返回家乡”。这是当时打算西征得士兵,在白桦皮上写下的思念家乡的诗句。
 

   同じ13世紀、チンギス・ハンの孫フビライは鎌倉時代の日本に遠征軍を送る。文永・弘安の役で、いずれも失敗した。望郷の念を抱きつつ倒れた兵士もあっただろう。
同在13世纪,成吉思汗的孙子忽必烈派远征军,征讨正值镰仓时代的日本。在文永・弘安的战役中都失败了。大概也有很多怀着思乡之情战死沙场的士兵吧。
 

  この元寇の後、北条時宗は鎌倉に円覚寺を開創した。蒙古襲来による死者を、敵味方の区別なく弔うことが建立の一因だという。
自此元军之后,北条时宗在镰仓时代创建了圆觉寺。据说,其建造的原因之一是,为了慰祭蒙古侵入战争中所有死者的亡灵,而没有敌我的区别。
 

  今日、小泉首相がモンゴルに飛び立つ。星空の下で、元寇の時代にも思いをはせてもらいたい。自、他国を問わない弔い方は、現代の追悼のあり方にも示唆を与える。誰であれ、いやしくも一国を代表する人物なら、他国の戦没者の思いにも目を向けるべきだろう。
     

今天,小泉首相将飞往蒙古。在星空下,希望回想起元军的时代。不分敌我的慰祭方式,也给了现代的追悼形式以提示。无论是谁,假如是代表一个国家的人,也该看到他国阵亡者的所思所想。

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