您现在的位置: 贯通日本 >> 学习 >> 天声人语 >> 正文
2006年08月08日の「天声人語」

论坛讨论地址:

http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=64701&page=1

神戸市中央区の公園にある「117希望の灯(あか)り」は、阪神大震災の犠牲者を追悼するためにつくられたガス灯だ。白木利周(としひろ)さん(64)は、灯りの管理をするNPO法人の理事を務めている。

在神户市中央区的公园里,有一个“117希望之灯”,是为了追悼阪神大地震死亡者而制作的气体灯。白木利周先生(现年64岁)担任管理灯的NPO法人理事。

 いろいろな行事の際に、火を分けてほしいと言ってくる人がいる。先月3日の夕方、須磨海岸の水の安全を祈願するため、婦人会の人たちが火を採りに来た。近くに自家用車をとめて分灯に立ち会った白木さんが30分後、車に戻ったところ、助手席の窓ガラスが割られ、置いてあったリュックサックがなくなっていた。長男の健介さんが使っていたものだ。

当举办各种活动时,有人就会来这里要火种。在上个月3日傍晚,为了祈祷须磨海岸水的安全,妇人会的人来这里采火种。白木先生把自己的轿车停放在附近,跟妇人会的人一起采火种,30分钟后,他回到车里,发现助手席的玻璃窗被打碎,放在那里的背包不见了。那是长子健介使用过的背包。

 「明日、6時に起こして」。それが最後の言葉になった。プレハブの自室がブロック塀に押しつぶされ、下敷きになった。21歳だった。

“请明天6点叫醒我”,这是长子对他说过的最后一句话。预制板房间被预制板墙压倒,长子被压在了下面,当时21岁。

 妻は泣き続け、自分も長いトンネルの中にいるようだった。立ち直りの兆しが見えたのは4年後。各地につくられた慰霊碑を回る活動に、夫婦で参加するようになった。

白木先生的妻子整日伤心哭泣,白木先生本人也如身处长长的隧道之中。4年后他们才重新恢复元气,夫妇俩人开始参加各地举办的祭奠活动。

 以来、形見のリュックを背負う白木さんの姿が国内外の被災地で見られるようになった。ボランティア活動をしたり、義援金を届けたり。妻は再び体調を崩し、01年に亡くなったが、白木さんの活動はやむことなく続いた。

从此以后,身背遗物儿子背包的白木先生的身影出现在国内外的受灾地区。他参加志愿者活动,送交募捐款。他妻子身体再次变坏,于2001年逝世,但白木先生的活动却没有停止下来而一直坚持着。

 「息子と一緒にいる安心感があった」という、黒い古ぼけたリュックには、金目のものは入っていなかった。テニスが好きだった健介さんが自分で買った。「WIMBLEDON(ウィンブルドン)」のロゴが入っている。「どこかに捨てられているのでしょう。何としてでも見つけ出したい」。白木さんはそう話した。

“背着这个背包,我有跟儿子在一起的放心感”,黑色旧了的背包里面没有装值钱的东西。背包是喜欢网球的健介自己买的。印有“WIMBLEDON(温布尔顿”字样。“背包被扔在什么地方了呢?我无论如何都想找到它”,白木先生说。

文章录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

相关文章