论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=64055&page=1 やはりそうだったかと、苦い思いがした。73年に東京で起きた金大中氏の拉致事件について、韓国政府の委員会が、当時の中央情報部(KCIA)による組織ぐるみの犯行と断定する報告書をまとめたという。 原来果然如此,让人感觉痛苦。关于1973年发生在东京的金大中绑架事件,据说韩国政府调查委员会发表的报告已经断定是当时的中央情报部(KCIA)的组织性犯罪。 当時、犯行現場からは、韓国大使館のKCIA要員である1等書記官の指紋が見つかった。書記官は今も韓国に健在で、実行への関与を認めたという。いわば容疑者の犯行声明が出たようなものだ。 当时从犯罪现场发现了韩国大使馆的KCIA要员一等书记官的指纹。据报道该书记官现在仍然健在韩国,并承认参入了事件的实施。也就是说,他发表了类似嫌疑人犯罪声明一样的东西。 証拠がありながら、この書記官が逮捕されなかったのには訳がある。「これでパーにしよう」。拉致から数カ月後の政治決着の場で、田中角栄首相がこう述べて捜査を事実上終わらせたことが、韓国が今年公開した外交文書で明らかになっている。 尽管证据确凿,但没有逮捕该书记官是有原因的。“就权当没有发生过吧”。韩国在今年公开的外交文件中表明,绑架发生数月后,在政治决断的场合,田中角荣首相这样叙述道,并在事实上终止了对犯罪的搜查。 犯行を不問に付した政治決着の後、金大中氏が歩んだ道は過酷だった。80年に起きた光州事件の首謀者として逮捕され、死刑判決を受ける。獄中から妻子に出した手紙を編んだ『獄中書簡』(岩波書店)の序文で述べている。「日本で、私のために数百万の署名が集められ、各地でデモンストレーションが起こっているということを知ったとき、私がどんなに強く励まされ、感謝したことか!」 政治决断对犯罪不再追问后,金大中经历了不平凡的道路。80年作为光州事件的首谋遭到逮捕,并被判死刑。在狱中他写给妻子和孩子的信汇编成《狱中书简》(岩波书店出版),在该书的序文中写道:“当我知道在日本为了我征集到了数百万的签名,各地都在举行游行示威时,我感到受到了无比的激励并万分的感谢”。 日韓の政府には苦言を呈す。「何よりも両国の指導者の思慮のなさと過ちからくる、両国民の間にある不信と憎悪の門の、なんと固く閉じられていることか!」 也有给日韩两国政府的忠告:“没有比因为两国领导人没有远虑和所犯的错误给两个国家人民之间设置了不信任和互相憎恶这样的坚固之门更严重的事情了”。 拉致事件が起きたのは、田中首相が今太閤と言われて政権の座に就いた翌年だった。その3年後の7月27日、ロッキード事件で逮捕された。暑かったあの日から30年がたつ。 绑架事件发生在被称作是当今丰臣秀吉的田中首相掌握政权的第二年。此事件3年后的 |
2006年07月27日の「天声人語」
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