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2006年05月15日の「天声人語」

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「もしお昼ご飯を食べている最中なら、いまラジオを切ったほうがよいかもしれません」

“如果此时您正在吃中饭的话,关掉收音机或许会更好。”

 第二次世界大戦でドイツの敗北が目前に迫る45年4月、米CBS放送のエド・マロー記者はそう言って、連合軍が解放したばかりのドイツ中部のブッヘンバルト強制収容所のリポートを始めた。

   1945年4月,第二次世界大战中德意志面临败北的下场,美国CBS广播局的记者爱德华・莫罗说完这句开场白后,开始报道盟军刚刚解放的德意志中部布痕瓦尔德集中营的状况。

 収容されていた2万人は飢えと結核で1日200人の割合で死んでいた。庭には骨と皮だけの遺体の山があった。生きている者も死相が現れている。

   被收容的2万人中每天都有200人因饥饿或患结核病而死亡。庭院里皮包骨头的尸体堆积如山。活着的人也是一副垂死的样子。

 「私はここで見、聞いたことのほんの一部を伝えたに過ぎない。そのほとんどについて、私は語る言葉を知らない」(田草川弘『ニュースキャスター』、中公新書)。ジャーナリズム史上に残るこのリポートが放送されたのは、実はマローが収容所を訪れた3日後だ。他社の記者が一刻を争って衝撃的なニュースを世界に伝える中、彼は自分の見たものを伝える言葉を吟味し続けて、抑制された文章にまとめ上げた。

  “我只是传达了在这里所见所闻的一小部分。关于这里的很多事,我不知道如何形容。”(田草川弘《新闻报道员》中公新书)这篇被载入新闻业史册的报道事实上是在莫罗采访集中营三天后才播出的。当时其他新闻社的记者们都争先恐后要向全世界报道这一震撼人心的新闻。在这种情形下,莫罗反复斟酌传达自己在集中营的见闻的语言,最终写出了一篇没有参杂自己感情的文章。

 マローといえば、50年代前半、米国で反共ヒステリーが荒れ狂った「赤狩り」の時代に、その立役者だったマッカーシー議員の虚言を暴いて、政治の流れを変えたことで有名だ。日本で公開が始まった米映画「グッドナイト&グッドラック」もその時のマローが主人公である。

   提到莫罗,50年代前期,即美国掀起反共狂潮“狩猎红色”的时代,他因揭穿当时反共狂潮的领导人物麦卡锡议员的谎言,改变了政治潮流而成名。

 彼の原点には、強制収容所のリポートで見せた言葉の持つ力とその限界に対する鋭い感覚があったと思う。マローは収容所で生き残った人の言葉を伝えている。「ここについて書くには最低2年はいなければなりません。でも2年もいたら、何も書きたくなくなりますよ」

    笔者认为,在他的报道的基点中包含着集中营报道中表现出来的语言的力量和他对其界限的敏锐感。莫罗引用了一句集中营里的幸存者的话:“要写些有关这里的东西至少要在这待上2年。然而,如果真的待了2
年,就什么都不想写了。”

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