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2006年05月14日の「天声人語」

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56年前の客車の座席に、もの言わず腰を掛けている老夫婦がいる。山手線の運転シミュレーション装置を巧みに操る小学生がいる。

   一对老夫妇默不出声地坐在56年前的客车座席上。小学生灵巧地摆弄着山手线的模拟驾驶装置。

 きょう閉館する東京・神田須田町の交通博物館は、男性の鉄道ファンを指す「鉄(てっ)ちゃん」だけでなく、鉄子に鉄爺(じい)、鉄婆(ばあ)、まさに老若男女でごった返している。

   在今天将要闭馆的东京・神田须田町的交通博物馆内,不仅有专指男性铁路迷的“铁男”,还有铁童,铁爷,铁奶,男女老少都拥挤到一块。

 カメラを向ける対象は、生まれた時代や住んでいた地域の違いによって一様ではない。「毎日の通勤電車だった」「帰省のたびに乗った」。それぞれの思いの残る列車や連絡船の模型に見入る姿があちこちで見られた。

   由于出生年代和居住环境的不同,人们拍摄的对象也有所不同。“这是以前每天上班乘坐的电车。”“这趟车以前每次回家探亲都会坐。”到处都可以看到注视着各自心中留有回忆的火车和渡轮的模型的背影。

 当初の東京駅近くからこの地に移って70年。空襲でも焼け残り、東京大空襲の当日から約10カ月間休館した以外、展示を続けてきた。戦後の来場者数は延べ3千万人近い。遠足や修学旅行で訪れた記憶のある方も多いだろう。老朽化に加え、手狭になったこともあり、閉館せざるをえなくなったという。

   博物馆从东京站附近的旧址搬迁到这里已经过了70年。空袭也没将之烧毁,除了遭遇东京大空袭当日之后的10个月闭馆以外,展览从未间断过。战后来此参观的人数将近3万人。应该有很多人心中都有一段自己曾经因为郊游或者毕业旅行来此参观的记忆吧。据报道,由于年代久远,空间狭窄,博物馆不得不面临闭馆的命运。

 明治末から大正初めにかけて中央線の起点だった旧万世橋駅の階段が、館内にそのまま残されている。草むしたホームに向かってゆっくり上っていくと、不思議な時間旅行の気分が味わえる。多くの展示物は来年さいたま市につくられる博物館に移されるが、今の施設を小規模な形でいいから残してほしいという声も、入場者から聞かれた。

   馆内原封不动地保留着明治末年到大正初年时期中央线起点旧万世桥站的阶梯。缓缓地走向青草茂盛的站台,可以品味经历一段奇妙的时间之旅的心情。馆内大多数陈列品会被搬往明年在琦玉市建立的博物馆内,还是可以听到一些参观者的呼吁:现在的设施以小规模保持下来就可以了,希望这个博物馆能够保留下来。

 陳列されている蒸気機関車C57と同じ年に生まれた菅建彦館長(66)は「閉館間際になって、年配のお客さまが増えました。日本人の鉄道への愛着を強く感じます」と話す。最後の日は特にイベントなどはせず、静かに幕を引く予定だという。

    与陈列在馆内的蒸汽机动车C57同年出生的菅建彦馆长说:“临近闭馆,年长的参观者有所增多,让我深深感受到日本人对铁路的恋恋不舍。”据说,预定最后一天不会举行特别的活动,将会静静的拉下帷幕。

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