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安達大成(だいなり)さんは「終戦の日」を旧満州で迎えた。12歳の中学生だった。ソ連との国境に近い小さな街で、いつものように外で遊んでいた。家に帰ると、母親から「戦争に負けた」と知らされた。えっ、それ何、という感じだった。
安达大成是在旧满洲度过“战争结束日”的,那时他是12岁的中学生。居住在与苏联相邻的国境的一个小镇上。那天他像平常一样在外面游玩后回到家里,妈妈告诉他“战争输了”。当时他还不知道这是什么意思,什么样的感觉。
その数日後、ソ連の飛行機が現れた。上空からいきなり機銃(きじゅう)で撃たれ、林の中に逃げた。安達さんは「日本では戦争が終わっていたが、私にとっては、この日から戦争が始まったようなものです」と話す。
几天后,苏联的飞机开始出现,突然从上空的机枪扫射下来,逃向林中。安达说“虽然日本的战争结束了,但对于我来说好像战争才开始。”
まもなく、ソ連軍が街にやって来た。土木技師だった父は数カ月前に病死していた。母と2人の弟とともに収容所を転々とさせられる。その途中で、2歳だった下の弟は、母に背負われたまま死んだ。食べものにも事欠いた。自分がいなければ2人が助かる。そう考えた少年は黙って姿を消した。それが母や弟との長い別れとなる。
不久,苏联的军队就来到镇上。土木技师的父亲几个月前病死了,他被安排和母亲还有两个弟弟一起辗转送进收容所。途中2岁的最小的弟弟死在了母亲的背上,没有吃的东西,年轻的安达认为如果自己不在的话,剩下的两个人就能得救。抱着这样的想法他悄悄的离去了。结果这成了和母亲,弟弟的长期分别。
辺境の農場で働き、20代の初めに出会ったのが妻の素子さんだ。素子さんは開拓農民の娘だった。母と一緒にソ連軍の侵攻から逃げたが、母は亡くなり、中国人の養父母に育てられた。異郷で結ばれた2人の残留孤児が母国の地を踏んだのは、終戦から36年後だった。
在边境农场工作时,和20多岁的妻子素子相遇了,素子是开拓农民的女儿。虽然和母亲一起逃避了苏联军队的侵略,但母亲不幸身亡,靠中国的养父母养大。在异乡结识的2名残留孤儿再次踏入祖国是在36年后。
旧満州には約150万人の日本人が住んでいた。そのうち、ソ連軍や地元民の襲撃、集団自決、病気などで、約20万人が死んだといわれる。同じ日本人でも、どこで「終戦の日」を迎えたかで、運命は変わった。
在旧满洲居住的日本人大概有150万人,据说这其中遭苏联军队或本地人的袭击、集体自杀、生病等大约死掉20万人。同是日本人随着迎接“战争结束日”的地方不同,命运跟着发生变化。
安達さん夫妻はいま、千葉県で月に6万円の年金で暮らす。妻は日本語が話せない。5歳年上の夫は「私が先に死んだらどうなるのか」と心配する。
安达夫妇现在在千叶县靠每月6万日元的年金生活。妻子不会说日语,长她5岁的丈夫非常担心“如果我先死的话,她怎么生活啊。”