论坛讨论地址:
http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardid=121&ID=41948&replyID=41948
あれから二〇年、本当に、いろいろなことがありました-。520人が死亡した日航ジャンボ機の墜落事故から、今日で20年になる。それを機に出版された遺族の文集『茜雲(あかねぐも) 総集編』(本の泉社)で、美谷島邦子さんは、9歳だった息子の健君に語りかけるように文をつづっている。
「今も、君のノートや鉛筆がここにあります。夏休みのヘチマの観察日記は、『八月一一日つるがのび、小さいつぼみがみえた』という事故の前日に書いた文字で終わっています。お父さんは、この文字をいまだに見たがりません」
弟夫婦とめいを亡くした池田富士子さんは、文に短歌を添えた。〈あまりにも 早きに逝きし弟の 歳をおりてはまた胸あつくす〉。弟夫婦の遺児ふたりは大勢の人に支えられて成長し、今は結婚してそれぞれ幸せに暮らしていますとあり、末尾には生存者のひとり川上慶子さんの伯母と記されている。
事故の翌日、生存者発見の報が本社に届いた時のことは、今もなお記憶に新しい。あわただしく夕刊の記事を書いていた記者たちの間にも、言葉にならない感動が走った。
絶望的な色合いの濃かった紙面を取り換える。直後に社会部から原稿を受け取った入力担当部員も、涙をこらえながらキーボードを打ったという。
二度と繰り返してはならない巨大事故だった。遺族の会「8・12連絡会」の事務局長を務めてきた美谷島さんは、文をこうしめくくっている。「二九年間、健ありがとう。……これからも君と一緒に空の安全の鐘を鳴らし続けていきたいと願っています」
自那之后的二十年里确实发生了很多事情。造成520人死亡的重大事故—日航大型客机坠毁事件正是发生在8月12号(下午6点56分),至今整整二十年。借此机会出版的遗族文集《茜云(合集)》(书泉社)中,美谷岛邦子的文章则像一封写给儿子健(不幸遇难)的信。
“儿子,现在家里还放着你的笔记本和铅笔。暑假里的丝瓜观察日记永远的结束在事故发生的前一天,‘八月一日,茎又变长了,能看到小小的花苞’。但你爸至今也不愿看上一眼。”
弟弟夫妇和侄女都在事故中丧生的池田富士子在他的文章中作了一首短歌(你离去的太早我的弟弟 可岁月流逝毫不见效 心中火焰似又重燃)。弟弟的另外两的孩子得到众多热心人的帮助,现在结了婚,过上了幸福的生活,文章最后记的是幸存者川上庆子的伯母。
另我至记忆犹新的是事故第二天,报社得知有生还者消息时的情景。慌忙赶稿的晚报记者之间充溢着无法用语言表达的激动。 那用的是带着浓厚的绝望色调的纸张。据说,紧接着将社会部的原稿进行输入的工作人员也是忍着泪水敲击键盘的。
那是一次决不容再次发生的重大事故。遗族委员会“8·12联络会”的事务长美谷岛女士是这样结尾的,“健,这二十九年妈妈谢谢你。……今后妈妈也希望和你一起继续努力,不断的为后人敲响安全警钟,保卫一片和祥的天空。”