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2005年08月11日の「天声人語」

作者:stcc  来源:贯通论坛   更新:2005-8-11 17:35:00  点击:  切换到繁體中文

 

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9日午前11時2分、長崎市の「原子爆弾落下中心地」の碑の下から空を見上げた。太陽が目を射る。60年前のその時、地上約500メートルの所で原爆が炸裂(さくれつ)した。

昨天上午十一时零二分,我站在长崎市“原子弹爆落中心地”纪念碑下,抬头仰望天空。阳光十分刺眼。60年前的此时,原子弹就爆炸在头顶上约五百米的上空。

太陽が落ちてきたようなありさまを想像する。直後の映像や被爆した人たちの証言、原爆の資料館の展示などを念頭において周囲に目をこらし、また瞑目(めいもく)して考える。来るたびにそうするが、実際に何がどうなったのかを想像できたというところには、とうてい至らない。やはり、人間の想像をはるかに超えるおぞましい行為が人間によってなされた現場というしかないのか。

我想象着太阳掉下来的情景。脑子里不停的浮现出刚爆炸后的影像,见证人的回忆,原爆史料馆陈列的展品等等,我时而凝视四周,时而瞑目思考。虽说每次到这儿都是如此,但真切的景象,画面的细节,终归是想象不出的。制造远远超出人类想象力,另人发指的景象,这也惟有人类自己能够胜任吧!
 8日、爆心地から1キロ余りの所にある長崎大学の構内の慰霊碑の前で、花に水をやる女性がいた。今年で70歳という女性は、小学校5年の時に被爆した。爆心からやや離れた自宅に居たため生き延びたが、当時この地にあった兵器工場で働いていた父親を失った。「遺体も見つかりませんでした」。60年間、父は行方不明のままだ。

8号、在离爆炸中心1公里多远的长崎大学内的慰灵碑前,一位女士在为鲜花浇水。她今年已七十岁高龄,原子弹爆炸时她只上小学五年级。当时她因呆在离爆炸中心有些距离的家中而幸免遇难,但却失去了在兵工厂工作的父亲。“遗体终没有找到”。父亲失踪了整整六十年。
 9日、爆心地近くの丘に立つ浦上天主堂で「被爆マリア像」が公開された。もとは大聖堂の祭壇に飾られていたが、あの日、わずかな側壁を残して建物が吹き飛んだ。後日、木の像の胸から上だけがみつかった。

9号、在离爆炸中心不远处山坡上的浦上天主教堂里,公开展示了“被炸的玛利亚像”。它原来是摆在大圣堂的祭坛上的。那一天,只剩下残垣断壁的建筑物消失了。后来,只找到了木像胸部以上的部分。
 間近に見ると、ほおや髪が焦げている。眼球が抜け落ちた両の目は、黒くうつろで、底知れない二つの闇のようだ。

近看这尊木像,脸部和头发都烧焦了。烧掉了眼球的双目,成了两个黑窟窿,像是两个深不见底的洞穴。
 いたましい姿だが、不思議な生命力を感じさせる。像の失われた部分は、長崎であり、広島ではないか。マリア像はその存在の証しであり、その記憶を未来に伝えようとしているように思われた。

虽说眼前是一副惨不忍睹的的面孔,但却让人感到一股不可思议的生命力。失去的那一部分木像,可能在长崎,或者在广岛吧!而这玛利亚像则被视为它存在的证明,被保存并向未来讲述那段记忆。


 


 

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