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東京・板橋の自宅で両親を殺したあと、15歳の少年は池袋に出た。映画館に入り「バットマン ビギンズ」を見る。そして新幹線に乗って、長野県の軽井沢へと向かった。
15岁的少年在東京・板橋的家里杀害了父母后,去了池袋,走进电影院,看了名叫[棒球人・比更斯]的电影,然后乘坐新干线,去了长野县的轻井泽。
社員寮の管理人の父と母を刺すなどして殺害した疑いで逮捕された高校1年の長男の供述という。映画は、主人公の幼い時に、両親が殺害される設定だ。少年は、どんな面持ちで映画館にいたのだろうか。
据说刺伤了职员宿舍管理人的父母,以杀人的嫌疑被逮捕的高中一年级的大儿子作了口供,电影中主人公小时候,父母被人杀害,这个少年是一种怎样的神情在电影院的呢?
福岡市では、15歳の中学3年生が、自宅マンションの部屋で、17歳の兄を包丁で刺し殺した容疑で逮捕された。「兄に夜中に起こされて肩をもまされるなど、こきつかわれている」と、友人に不満をもらしていた。
在福冈市15岁的中学3年级学生,被嫌疑在自家的公寓中用菜刀将17岁的哥哥刺死而逮捕,这个少年向自己的朋友倾吐的自己的不满:“晚上被哥哥叫起来,给他按摩肩膀,当小差地使唤”。
板橋の少年の方は、「父に馬鹿にされた」と供述しているという。まだ詳しい動機は分からないが、少年による二つの事件の底には、肉親に対する日頃からの「憎しみ」があるようにみえる。
据说板桥少年的口供为“父亲看不起他”,但无法知道详细的动机,少年杀人这两件事的实质看起来是平时对亲人有着憎恨。
日本の殺人事件の検挙人数は、戦後の混乱期や経済成長期を経て減少し、2000年代は1300~1400人台となっている。うち少年は、60年代までは300~400人台が多かったが、70年代初めに100人台となり、2000年代は100人前後の年が多い。
在日本对杀人事件检举人数经过战后的混乱期和经济成长期,有所减少,2000年对杀人事件检举人有1300~1400多人,在家的少年到60年代多了300~400人左右,70年代初在家少年有100人左右,2000年多于100人前后左右。
この大きな流れを見る限りでは、少年による殺人事件は、増える傾向にあるとはいえないようだ。しかし自宅を犯行現場とし、肉親を殺害する「家庭内殺人」は、世の中に独特の衝撃を与えている。戦後の60年で都市化が進み、都会の多くの家庭から庭が失われた。土の庭はあってもなくても、小さな「こころの庭」があれば、と思う。
只要看到这个大的趋势 ,好像就不能说少年杀人事件有增加的态势,但是以自家为犯罪现场,杀害亲人[家庭内杀人]及与这个社会特有的打击,战后60年,城市化有所进展,从城市众多的家庭当中院子已经不见,不管有没有庭院,只要有小小的[内心的庭院]就够了。