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ポーランドの古都クラクフは、中世(tyuusei)色濃く残している。後にローマ法王ヨハネ・パウロ2世となるカロル・ボイチワは、クラクフ郊外の町バドビツェで生まれた。
波蘭的古都克拉克福,残存着濃重的中世紀風采。此后,羅馬法王尤哈奈.葩瓦羅2世喀羅盧.鮑啓華,在克拉克福郊外的小鎮巴徳比滋出生。
近くには、後に強制収容所がつくられたアウシュビッツがある。数年前、クラクフを流れるビスワ川のほとりに立って、三つの町の位置関係と法王の人生に、運命的なつながりを感じた。
近代,建成了阿瓦修比滋強制集中營。数年前,在流経克拉克福的比斯瓦河河畔建成,感覚三座城市的位置关系還有法王的命運都聯接在了一起。
ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった時、カロルは哲学科の学生だった。独軍によって大学は閉鎖される。ドイツで強制労働をさせられる国外追放を避けるため、クラクフ郊外の石切り場で働いた。
納粹.徳意志進攻波蘭引发第二次世界大戰開始時,喀洛尓還是哲学科的学生。因為徳軍的縁故大学被関閉。為了躱避被徳国强制征勞動力放逐国外,躱在克拉克福郊外的切石場工作。
「聞いてごらん。ハンマーが規則正しく石を打つ音を……ある想いが私の内で育って行く。仕事の真の価値は、人間の内面にあるのではないだろうかと」。自作の詩について、法王は後年、「当時の異常な体験がなかなか適切に表現されている」と自伝『怒涛に立つ』(エンデルレ書店)で述べている。
“請试着傾听。榔頭敲打在石塊上規則的声音....有一个想法在我心里孕育。工作的真正的价値,正是人類對自己的態度,不是麼?”對于自己作的詩,法王多年后在自傳<站在浪尖上>里写道,“這正是当時的特殊的体驗的恰当表達”。
やがて地下活動で神学を学び、司祭になり、クラクフ大司教を務めた。法王としては、故国で民主化を求める「連帯」を励まし、教会が封印してきたことを謝罪し、イラク戦争に反対した。歴史と平和についての明確な発言と行動が際だっていた。
曾経通過地下活動学習神学,成為了神甫,司職大主教。作為法王,在自己的祖国尋求民主,鼓励団結,對在教会加封条的事情認錯,反對伊拉克戰争。發表了明確的関于暦史和和平的發言和行動。
10年前、バチカンで法王と握手する機会があった。若き日にハンマーを握ったかもしれない手には、厚みがあった。「戦争は人間のしわざです。戦争は死そのものです」。81年に広島で発した言葉が、その手から伝わってくるようだった。
10年前,在巴啓喀曾有過握手的机会。年軽時候也許握過榔頭的手,很厚實。“戰争是人類的把戲。戰争本身就是死亡。81年在广島發表的言辞,倣佛透過那只手傳遞過来。”