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2005年03月17日の「天声人語」

作者:机器猫朵…  来源:贯通论坛   更新:2005-3-29 6:39:00  点击:  切换到繁體中文

 

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バロン西といえば、戦前を知る世代には懐かしい名前かもしれない。本名を西竹一(たけいち)という。男爵(バロン)の家に生まれ、昭和の初め、ロサンゼルス五輪で馬術の金メダルに輝く。軍人として、満州から転じた硫黄島で戦死した。

一说起男爵西战士,对于熟悉二战前的人们来说大概是一个令人怀念的名字吧。本名叫作西竹一。生于男爵世家,在昭和初年洛杉矶举办的奥运会中获得了马术金牌。之后,他作为一名军人从满洲转战到硫磺岛,战死在那里。 「五輪の英雄バロン西、出てきなさい。君を失うのは惜しい」。米軍が名指しで投降を呼びかけたが、西氏は抗戦を貫いた。そんな逸話が残る。後の創作とみる説もある。戦死公報によると、西氏が亡くなったのは60年前のきょう3月17日だった。

奥运会冠军男爵西战士,快出来吧。失去你,我们会感到惋惜的。”美军指明要西竹一投降,但他却抗战到底。于是乎,留下了这么一段佳话。但也有人说这是后人自行创造的。根据战死公报来看,西竹一是在60年前的今天也就是3月17日战亡的。 ひ孫にあたる丹羽満彦君(17)は先週末、初めて硫黄島に渡った。黒いネクタイにカメラを2台携え、遺族ら約110人と島を巡った。日米で2万7千人もの将兵が散った島は、歩いてみると驚くほど小さかった。曽祖父(そうそふ)を描いた本は何冊も読んだが、「暗く深い塹壕(ざんごう)や血のしみこんだ浜を歩いて初めて生身の姿 を実感できた」と話す。

  

曾孙丹羽满彦(17岁)上周末,第一次来到了硫磺岛。系着黑色的领带,拿着2台照相机,和遗族共110人一起巡游了这个小岛。看到日美双方总共2万7千名战士激战的岛屿,竟然如此之小,非常震惊。虽然读过很多本描写曾祖父的书籍,但却说道:"走过昏暗,幽深的战壕,散步于沾满了鲜血的海边,第一次真真切切的感受到生存的意义.

 満彦君が登った摺鉢(すりばち)山では60年前、日米の若者が死闘を展開した。山頂にはためく星条旗をとらえた写真は米国では今も名高い。士気を高める効果があるのだろう。同時多発テロ級の大難があると、遺族の集会や篤志を募るビラにあの写真がきまって登場する。

60年前日美的年轻人曾经在满彦君登上的摺鉢山展开激战.满山遍野都插满了美国的星条旗,而这张照片至今也相当的出名.大概可以起到鼓舞士气的作用吧.如果发生恐怖事件,召开遗族大会,或是招募有志之士时,这张照片一定会派上用场.

「硫黄島に寄せる日米の思いは対照的です」と言うのは西氏の長男、西泰徳さん(77)。満彦君の祖父である。「私たちには死を悼む島でも、米国民には勝ち得た栄光を祝う島のようです」

"日美两国追忆硫磺岛的态度是截然相反的",西竹一的大儿子,也就是满彦君的祖父西泰德(77岁)说到."对于我们来说,是一座悼念死去的亲人的岛屿,但是对于美国人来说,却好像是座祝贺取得胜利的岛屿."

満彦君はこの秋、米国の大学に進む。平和な時代であれば曽祖父が晩年まで楽しんだはずの馬術を、自分も米国で始めたいと考えている。

满彦君在今年的秋天,就要去美国的大学读书了.他也想在美国开始学习马术--如果在和平时代曾祖父到老还会一直喜爱的马术.

附:西竹一

父は外交官で中国大使などを歴任した人物で、高齢になってから誕生した竹一を溺愛した。 10才の時に父が死去し、莫大な財産と団爵位を相続。アメリカから自動車を輸入して乗り回すなど 放蕩の限りを尽くした後、馬と出会い陸軍に入り騎兵学校へ。遊佐幸平氏らから馬術の基礎をみっちり 教え込まれ、外遊中の上司がイタリアで見い出したウラヌスを購入。第10回オリンピックロサンゼルス 大会の大障害競技に出場し、減点8で見事優勝。西の優勝はまったく予想されたことではなく、たまたま
馬術競技の後に行われる閉会式中継のため会場にいた日本人報道関係者により、大ニースとして日本に 伝えられる。西の物怖じせぬ堂々とした態度は人気を集め、当時のアメリカにおける日本人観をも変えたと 言われ、ロス市名誉市民の称号を受ける。続くベルリン五輪にも西は17才となったウラヌスと共に出場するが、結果は惨敗。本来なら若い馬を購入したかったが、すでに西にも陸軍にもその余裕はなかった。
ベルリンでの惨敗で陸軍での左遷人事の憂き目に会い、結果的に最前線・硫黄島に送られ半年後戦死。 上陸したアメリカ軍が「ロスの英雄バロン西、出てきなさい」と呼びかけた話は有名だが、日本兵で 生き残った人はその呼びかけを聞いていないという。そのご間もなくウラヌスも老衰で死ぬが、墓のあった 津田沼の陸軍騎兵学校に米軍の爆弾が直撃し、遺骨もろとも吹き飛んだといわれる。


 


 

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