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フランスの画家ニコラ・プッサンが「アルカディアの牧人」に描いている古代ギリシャの地・アルカディアは、牧歌的な楽園や、理想郷にたとえられた。日本で言う楽天地もまた、楽しさのあふれる天国のような場所を指している。
法国画家尼古拉·普桑在[阿尔卡迪亚的牧人]中所描绘的古希腊之地阿尔卡迪亚被喻为牧歌的乐园和理想的桃源地。就是日本所说的乐天地(乐园),又指充满欢乐的尤如天国那样的地方。
名前からは、そんな連想も浮かぶインターネット事業会社・楽天の、プロ野球への参入が決まった。選考の公正さについては、十分な説明と検証が要るが、選手会とファンが独善的な球界を動かしたあかしとして、まずは楽天的に見守ってゆきたい。
从其名字上就能让人产生这种联想的互联网络公司----乐天,它加入职业棒球已成定局。对于选拔的公正性虽然需要作充分的说明与验证,但是,作为选手会与球迷们自以为是地在球界作推动的证据,首先想要关注的就是乐天。
森鴎外は、短編「藤棚」で、楽天観という言葉を使っている。「無制限の自由で人生の諧調が成り立つと思つてゐる人達は……余り楽天観に過ぎてゐるのではあるまいか」(『現代日本文学全集』筑摩書房)
森鸥外在短篇小说《藤棚》中使用了乐观这样的词语。“想以无限制的自由来组成谐调的人生的人们……难道不是过于乐观了吗” (『現代日本文学全集』筑摩書房)
あまりに楽天観に過ぎていないかと思ったのは、イラクに駐留する自衛隊員の安全にかかわる、小泉首相の発言だ。「ムサンナ州の知事が来た時も(治安は)安定しているとおっしゃっていました。サマワは住民も非常に歓迎しているそうですよ。自衛隊の活動を」
是不是过于乐观了呢?抱有这样的想法是涉及到驻扎在伊拉克的日本自卫队员的安全,这是小泉首相的发言。“姆萨纳州的知事来的时候也说过治安情况稳定。据说萨玛尔居民对自卫队的活动也是非常欢迎的。”
サマワの宿営地に着弾したロケット弾は、鉄のコンテナを貫通した。荷物の保管用でも、人は出入りするだろうから、被弾の恐れはあったし、これからもある。香田証生さんの殺害が、自衛隊の駐留とどれほど深くかかわっていたかは、はっきりしない。しかし砲撃は、自衛隊がそこに居るから起きた。
射到萨玛尔自卫队营地的火箭弹,穿透了铁制的集装箱。既便是用于保管物品的,但人总是要出入的,终有被击中的可能性,今后依然如此。香田证生君的被杀究竟与自卫队的驻扎有多大的关系虽不清楚,但炮击事件正是因为自卫队驻扎在那儿才发生的。
今のような危険な状態が、派遣前に想定していた範囲内とは思えないが、どうか。真っ当な説明と、速やかな対応が、肝要だ。
象现在这样的危险状态,虽然不能认为在派遣之前就已经想到了。总之,认真地说明与及时地应对是最要紧的。
相关资料
普桑(Nicolas Poussin 1594-1665),法国画家,法国古典主义绘画的奠基人。曾长期在罗马研究古代雕刻和文艺复兴绘画,作品多为神话、历史题材,名作有《阿尔卡迪亚的牧人》、《诗人的灵感》等。
ニコラ・プッサン
Nicolas Poussin ( 1594-1665)
フランス 古典主義 、バロック
フランス古典主義の代表的画家。
パリでフォンテーヌブロー派を学ぶ。登場人物に演劇的な心理主義を応用し、独特の世界を完成させる。
パリの保守派の交渉を嫌悪し、42年以降、ローマに住む。
晩年は、哲学的世界、幻想性の強い寓意的風景画を描いた。
セザンヌ、ピカソなどの手本となった。
森鴎外
文久2年から大正11年(1862~1922)1月19日、島根県鹿足郡津和野町字横堀に生まれた。名前は林太郎。11歳のとき父とともに上京し、20歳、東京大学医学部を卒業する。同年、陸軍軍医副に任官、東京陸軍病院課療となる。1884年、23歳のときドイツへ官費留学します。帰国後、官途と並行して文学の活動を始めた。訳詩集「於母影」小説「舞姫」をはじめ、翻訳「即興詩人」評論などがある。西欧の近代の視点で日本の現状えお見る彼の活動は、近代文学の源流となった。軍医として最高位をきわめ、文学上の功績も著しく、そのほとんどのジャンルの指導者でもあった。