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捲土重来(けんどちょうらい)という言葉がある。土ぼこりを巻き上げるような勢いで勢力を盛り返して反攻する、という意味でつかわれる。晩唐の詩人、杜牧の「題烏江亭」に出てくる。
有卷土重来这样一个词。被用作是好像要卷起灰尘一样的势力不停的进行攻击的意思。出自晚唐的诗人杜牧的《题鸟江亭》。
実はしんみりとした詩だ。かつての敗軍の将、項羽ゆかりの地を訪ねて詠んだ。彼は潔くこの地に散ったが、もし「捲土重来」をめざしていたら事態はどう転んだかわからなかったのに、と振り返った。杜牧の「詠史詩」ではしばしば歴史の逆転劇が空想される。
实际上是一首沉静的诗。是拜访和过去的败将项羽有关的地方而发的感慨。回顾了他干脆地流落在此地,但是不知道如果他“卷土重来”的话事态会变成什么样子。杜牧的诗大都是对历史逆转剧的空想。
権力闘争が激しかった中国史のなか、詩人たちは敗れた者のことを思い、落魄(らくはく)や失意を詠むことが多かった。16年前の天安門事件で失脚し、17日死去した中国の改革派指導者、趙紫陽(チャオツーヤン)氏が「捲土重来」を期していたかどうかはわからない。しかし、さまざまな思いが去来した晩年であったろう。
在权力斗争激烈的中国史中,诗人多想起失败者,描写他们的落魄和失意。不知道16年前天安门事件中失足的在17日去世的中国的改革派领袖赵紫阳是否决心“卷土重来”。但是他的晚年是被各种各样的想法萦绕着吧。
〈なぜ銃で兵士が人を撃つのかと子が問う何が起こるのか見よ〉。天安門事件をめぐり、子と母の会話を詠んだ朝日歌壇の入選作である。刻々とテレビで伝えられた事件の進行はいまもなまなましく記憶に残る。広場を占拠する学生たちに分け入り、「来るのが遅すぎた」と語った趙氏の姿も、また。
“看一下孩子们问为什么士兵们用枪射击别人会引发什么。”这是朝日歌坛描述关于天安门的母子的对话。每时每刻在电视上发布的事件的行进状况现在还清晰地留在记忆里。拨开占据广场的学生们走进来,赵紫阳的可谓“来的过晚”的身资仍然在那里。
事件のきっかけは民主化運動に理解を示したとして「失脚」した胡耀邦(フーヤオパン)・元総書記の死去だった。追悼集会では総書記だった趙氏が弔辞を読んだ。それから約2カ月後に解任され、以来、氏が公の場に姿を見せることはなかった。
这件事是以因为表示了对民主化运动的理解而“失足”的原总书记胡耀邦的去世。追悼会上总书记赵紫阳宣读了唁辞。那以后的两个月便被撤职了,并且再也没有在公共场合看到它的身影。
そんな経緯から、趙氏の追悼がどのようになされるのかが気になる。そして「民主化運動」に「捲土重来」の動きが出てくるのか、も。
从这样的经过注意到了赵紫阳的追悼起了什么样的作用。并且对“民主化运动”的“卷土重来”的开始行动也有作用吗?