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昭和という時代が終わったのは、16年前の今頃だった。その昭和で数えれば今年は80年になる。戦後60年でもある今年は、20世紀の歴史の節目となった昭和20年、1945年を、折に触れて思い起こしたい。
所謂的昭和時代的終結,是在16年前的今天。以那昭和年代(結束)算起到今年已経80年了。戰后已経有60年的今年,即成為20世紀的暦史的一頁的昭和20年,即1945趁机想要回憶一番。
その年の春、オーストリアのナチスの収容所を、ひとりのイタリア人が脱出し故郷をめざした。アルプスを越え、北イタリアの小村アジャーゴにたどり着くまでの過酷な体験を描いた短編は『雷鳥の森』(みすず書房)に収められている。
那一年的春天,澳大利亞的納粹的收容所,有一个逃砲打算回故郷的意大利人。在短篇中收録了描写穿越阿尓卑斯山,北意大利的小村庄,在阿加果盤跚前進的残酷的経暦。
著者マーリオ・リゴーニ・ステルンは21年生まれで、第二次大戦ではフランスやアルバニアの前線へ赴いた。ロシアの戦線へと向かう列車が停車中、外でポーランド人の老人が片言のイタリア語で「アジャーゴ」と故郷の名を叫ぶのを聞く。
作者馬里奥.是在21年出生的,第二次世界大戰中前赴法国和阿尓巴尼亞前線。在開往俄国戰線的列車停站中,听到外面有波瀾的老人在只字片語的意大利語中提及故郷「加里果」的名字。
第一次大戦中、アジャーゴの山中で捕虜になった老人に、村の人々がパンを工面して(くめん)くれたという。老人は、その礼にと列車の兵らにビールをふるまい、別れには雪の中に立ち尽くし帽子を振り続けた。
第一次大戰中,傳説加里果的村里的人們曾経籌措面包給被追捕的老人。老人作為謝礼用脾酒款待列車上的士兵們,分別時候在雪中站立揮動帽子直到最后看不見。
その夜リゴーニは、生まれて初めて、貧しい者たちの運命に、貧しい者たちに殺し合うことを強いる戦争というものに想(おも)いを巡らせ自問する。(めぐらせる)「この汽車に乗っているおれたちのなかで、帰れるのはだれだろう。何人の同郷の人(コンパエザーノ)をおれたちは殺すことになるのだろう。そして、なんのために……同じ世界に生きているわれわれは、だれもがみな同郷の人(コンパエザーノ)なのに」。
那个夜里里高尼自出生第一次圍繞貧窮者的命運,貧窮者們在所謂戰争的逼迫下相互搏殺的戰争開始自問。「在這些乘車的我們之中,能回家的有誰,我們又要殺害多少同郷的人們。然而,這又是為了甚麼...况且同様在世界上生存的我們,誰都是誰的同郷人」
同郷の人(コンパエザーノ)。耳慣れない言葉だが、つぶやいてみると、日向(ひなた)くさい懐かしみがある。そしてリゴーニの問いが古びていない(ふるびる)ことには、心が騒いだ。
同郷人。雖然是并不耳熟的言辞,嘗試着都嚢下,帯着陽光般温暖的懷念的味道。里高尼的不很陳旧的疑問,譲人心慌。