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ある時、ルーズベルト米大統領は、チャーチル英首相に対して「今度の戦争を何と呼ぶべきかについて、一般の意見を求めている」と言った。即座に「無益の戦争」と答えたと、チャーチルは書いている(『第二次世界大戦』河出書房新社)。今度の戦争ほど、防止することが容易だった戦争はかつてなかったのだとも記す。
曾有一次,美国总统罗斯福对英国首相邱吉尔说:“关于这次战争该如何称呼正在征求大家的意见”。邱吉尔立刻答复写了“无益的战争”几个字(《第二次世界大战》河出书房新社)。书中还记载道,像这次战争那样轻而易举地就防止了的事是不曾有过的。
60年前の今頃、その戦争は終わりに近づいていた。1月末、チャーチルは、ルーズベルト、スターリンと会談するため、クリミア半島のヤルタへと向かった。
在60年前的如今,那场战争(注:指二次大战)已接近尾声。1月底邱吉尔为了和罗斯福、斯大林会谈,去了克里米亚半岛的雅尔塔[苏联克里米亚半岛南岸港市]。
一行は3機に分乗していたが、うち1機が途中で墜落した。さすが豪気のチャーチルも、ひやっとして述べた。「奇(く)しき運命の岐(わか)れ道だった」(『チャーチル物語』角川書店)。それは、世界のその後にとっても、小さくない岐れ道だった。
一行虽然分乘了3架飞机,但其中的一架却在中途失事了。 就连豪放的邱吉尔也冷冷地说道:“真是奇特的命运的分水岭”(《邱吉尔故事》角川书店)。此事对那以后的整个世界来说也是个不小的分岐点。
戦時中、ドイツ軍の空襲を避けて、チャーチルが閣議を開いていた地下施設がロンドンに残されている。ダウニング街の首相官邸にほど近い「戦時内閣執務室博物館」だ。「この部屋から、私は戦争を指揮する」と述べた。
战争时期为了躲避德军的空袭,在伦敦依然保存着邱吉尔召开内阁会议时的地下设施。那就是唐宁街的离首相官邸不远的“战时内阁办公室博物馆” 。邱吉尔说过“我将从这个屋子来指挥战争。”
作戦室や会議室の他に、チャーチルの居室があった。そこには、寝泊まりに使ったというベッドが置かれている。写真や映像での堂々たる巨漢という印象からはほど遠い、小ぶりなものだった。
除了作战室啦会议室之外还有邱吉尔的居室,在那里还放置着据说是他睡过的床。与照片和影像中给人以堂堂的大汉的形象相差甚远,那只是一只小小的床。
チャーチルは、ルーズベルトよりもスターリンよりも前に生まれ、ふたりより長く20世紀を生きた。そして、40年前の今日、90歳で他界した。臨終に際して、こう述べたと伝えられる。「もうすっかり、いやになったよ」(『チャーチル名言集』講談社)
邱吉尔比罗斯福和斯大林都出生得早,而且在20世纪比他们二人都长寿。并且在40年前的今天,于90岁时告别了人世。在临终时还留下了这样的话。“我已经厌烦透了”(《邱吉尔名言集》讲谈社)。