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「終戦の日のことを書くのに、私の『リヤカーをひいて』からの文章を活用してくださり、光栄でございました――」。昨日85歳で亡くなった水上勉さんから、思いがけない手紙を受け取ったのは、3年前だった。
三年前,昨天去世的的85岁的水上勉寄给我一封让我意想不到的信。信中写道:“虽然是写终战的事,但是引用了我的《拉车》中的文章,我仍十分荣幸。”
「昭和20年8月15日」のことを書いたコラムに、水上さんの、この日の回想文の一節を引用した。簡単な礼状と、掲載した新聞を送った何日かあとに、手紙が届いた。
在写昭和20年8月15日的专栏中,引用了水上先生的那天的回想文中的一段。简单的礼仪和刊登此文的报纸发行的几天之后,收到了这封信。
水上さんから直接取材したことはないが、かなり以前に、何かの集まりであいさつするのを見た。作品やテレビを通して思い描いていた通りの印象を受けた。たたずまいの端正さや静かさと、その奥底にうずくまっている熱情のようなものを感じた覚えがある。
虽然没向水上先生直接约过稿,但是很久以前,曾经在什么聚会上见过面,打过招呼。和我通过他的作品和电视节目所想象的一样的印象。记忆中,他给人一种自然的端正和安静,和深藏其中的热情的感觉。
『昭和文学全集』(小学館)の解説に、小松伸六さんが書いていた。「私は以前水上文学を、『生活する歌ごころ』と書いたことがある。それは在所の悲しい子守唄であり、放浪生活歌である。また人生遍路の諷詠であり、失われた日本へのエレジーでもある」。簡素で、しかも空疎ではなく深い内実のある、地べたからの発言だという。
小松伸六在《昭和文学全集》(小学馆)的解说中写道:“我以前根据水上文学写成了《生活放歌》。这是描写流浪的悲伤生活,放浪生活的诗歌。也是人生路途的诗作,失败了的日本的悲歌。”简单,而且不空洞深邃的内涵的从底层的发言。
終戦の日、あの放送を、水上さんが聞くことはなかった。そのころ、炎天下、リヤカーに病人を乗せて、郷里・若狭の坂道に居た。「人は『歴史的な日』などを生きるものではない。人は、いつも怨憎(おんぞう)愛楽の人事の日々の、具体を生きる」(『八月十五日と私』角川文庫)
终战那天,水上先生并没有听到那则广播。那个时候,烈日下,车上载着病人,在乡间的狭窄的小道上行走。“人类不是生活在《历史的某一天》。人类总是生活在怨憎爱乐的具体的每一天”(八月十五和我)
地をはうように生きる人々の、息づかいや胸の内奥にまで、するどくも優しいまなざしを向けながら、日々の具体を描き通した。
像趴在地上一样生活的人们的呼吸和内心深处,敏锐的忧郁的眼神,描写着每一天的具体生活。